2021年11月ツアーの編集後記的なもの


 こんにちは。今日は2021年11月に名古屋や神戸をウロウロしている間に撮ったり考えたりしたことを今後どうこのジャーナルブログに活かそうか、という完全な独り言の記事です。編集方針からして決まっていない見切り発車のブログ!

 当該ツアー中の記事はここにまとめてあります。

観光写真的なものを撮りつつ

 今回、仕事として依頼されての撮影だったのが「名古屋や神戸の見てそれと分かる場所を撮ってきて」というもの。運良く天気にも恵まれて、スカッと晴天! おいでませ! という感じの写真が撮れまして、お仕事としては良い感じではないか、クライアントさんも喜んでくれているのではないかと思っております。そこは効果測定が難しいところなので(どうか喜んでくれていますように……)という部分ですね。祈りにも似た気持ち。

 そんな観光写真的なものを撮りつつ、訪れているのが実際に観光地なもので、スナップもそのへんですることになりまして、皆さんにこのジャーナルブログでご覧いただいたのは「観光というものがよく分かっていない野良カメラマンが観光地で撮ったスナップ」というなんとも不思議なシロモノであったんだなあ、という風に後から考えてみると思います。

 いわゆるスナップの場合、観光地を撮っても良いんだけど、もっとスナップらしいテーマを定めないとスナップらしくならないんでしょうね。ですから雑賀崎の写真については、最初から「ガリガリを撮るぞ!」と決まっているので、ガリガリのついでに港の様子も写しておこう、という塩梅で(悩みつつではありましたが)撮り易く、またまとめ易ったなと思います。

全カットおいでませ

 結局はこういうのって、写真の目的の問題なんですよね。最初から答えは分かっているのですが、答えをどう決めるかと、それに合わせて自分がどう振る舞うかがきちんと定まらないのが、「あああどうしたら」とフラフラしてしまう理由です。

 観光協会の人に望まれるような、理想的な観光写真というのは、かんたんにいえば「絶景」「食いもん」「サービスの説明カット」の3つで構成されるんだろうな、と自分でやってみてつくづく実感しました。そりゃ観光誘致するための写真ですから、きれいで、美味しくて、親切に遇してもらえるよ、というのをアピールしなきゃなりませんから、写真として撮って欲しいのはそのあたりのものに集中するでしょう。

 今回、依頼で撮ったものは用途が明確だったもので、上記3ポイントのうち1の絶景と3の説明カットの良いとこ取りみたいな感じで、かつ観光誘致のための写真ではないので肩の力を抜かせてもらった感じがしますが、しかし「いらっしゃい」感は出していかないといけません。つまりおいでませ感は必ず全カットに含まれていないといけないんですね。それがこのブログで必要なのか? と疑問に思うようになりました。

 たとえばグラビア写真の場合、全カットからむんむんと性欲を喚起するオーラが立ち上っていないといけません。じゃないと「グラビア」とは呼べませんやね。
 それと同様に、観光写真として観光地を撮るのであれば、それはもうバリバリと「おいでませ!」という気持ちが込められていないといけないと思うんですよ。そのための構図、トーン作りがマストです。

 自分にそれが出来るか? と自問してみたところ、思い切り職業ですごく儲かるならアレかもしれないが、自発的にやってみようという気にはならなそうです。
 写真を見て喜んでくれる人がいてほしい、その人のために撮りたい、という程度のホスピタリティは持ち合わせているのですが、それと対になる「どう撮りたい」「どう見せたい」の部分については、こだわりというほどのこだわりはないつもりでしたが、全ショットおいでませ感を出せるかといわれると、こりゃ無理だなと思います。

台南の観光局の方、どうでしょう!?

働くおっさんたちですら

 考えてみると、当ブログでメインのコンテンツである働くおっさんたちも、広告としてその人達が働く姿を「おいでませ」で撮って見せていこうという意思はあまりありません。

 ファイナンシャリーにベストの形を目指すのであれば、「素晴らしく一般ユーザー受けが良い形で撮ってご紹介させていただきますんで!」という謳い文句で撮影対象に取り入るのがベストなんだろうと思います。
 例えばパリに行けばエッフェル塔を撮り、美しいパリジェンヌを撮り、おしゃれなキャフェーを撮り、という感じで醜いところを一切見せないのが広告としての取材写真のありかたでしょう。

 私も取材させてもらった人に対して常に感謝の念があるので、より「良く」見せたいと思うのは間違いありませんが、広告のレベルとなると、そこには確実に優良誤認を期待した嘘の部分が乗ってきてしまう……というか、優良誤認を期待した嘘の部分こそが広告です。少なくとも現代日本で見かける広告はほぼすべてがそういったものであり、それをブログでやりたいかと考えると、「全然」というのが率直な気持ちです。

 何も撮影対象の悪いところをことさらに暴き立てるような、品のないストリートスナップをやりたいわけではありません。美しいものは美しく写ることと思います。ただそこに盛ることはしませんよ、というだけの話ですね。

観光局の度胸

 そんな形で「俺がどう見た」を基準に、YouTubeでやっているような正直レビュー的バランス感覚でやっていくとなると、やはり一般的な観光写真のアプローチからは遠いものになってしまいそうです。いわゆる絶景系は撮る気力も絶景的に見せるレタッチ技術もありません。

 となると、その自治体の観光局みたいなところの皆さんとつるんで仕事をする、というのはないだろうなあ、あらあら自分で難しい道をわざわざ選ぶんだなあ、という感じがしますが、こういうのはYouTubeでよくやっている機材のレビュー動画と同じで、自治体側に度胸があれば解決する問題なのだろうなとも思います。

 日本の機材メーカーの広報さんたちはハートが弱いので、多数に伝わる場で自社製品の不都合な点に言及されるのを極端に嫌います。また体裁として「レビュー」という形、つまり機材について言及する動画を作っている人たちに対して、有形無形で自社が製品に対して言わせたいことを言うよう誘導するのが当たり前です。

 インフルエンサーの場合はそれに対するインセンティブとして「メーカーとつるむとインフルエンサーとしてハクが付くよね……」とやりますし、雑誌なんかの媒体に対しては「広告……分かってますよね」とやります。

 それぞれ別に非合法なことではないので勝手にやれば良いのかもしれませんが、評論が存在する世界ではそれをやるとボコボコに叩かれるのが当たり前のことでして、私としては消費者に対する欺瞞に他ならないのでやめりゃ良いのにバカだなあ、と思うんですね。まあ原因がハートの弱さと昭和の因習から脱することができない、こちらもハートの弱さに起因することなので、ごそっと人員が入れ替わらないと無理なのだと思うのですが、こういったことはおそらく自治体が観光誘致をする場合にも同じことが起きるのだと思います。

 つまり観光情報評論というものが存在しない世界では、観光情報がどのくらい嘘をついているのか、消費者に対して背信しているのかを評価するものがないので、嘘をついてでもキラキラ美しい写真にしてちょうだい、という要望が多いでしょうし、またそれを当然とし、キラキラでない情報を流す者に対して「なんだあいつは」となりかねないなと思います。

 こういったことは気持ちとしては分かるのですが、本来であればグッとこらえないといけないことですし、そのあたりが分かっている観光局の人とであれば、私も別に悪いところをわざわざ流すつもりでやっているのではないので、良いバランス感覚でご一緒できるかもな、という風に思います。文化レベルの問題でしょうね。

 とはいえ、当面いきなり観光局の人とつるむことはないでしょうから、土地については好き勝手に、人については当事者のマイナスになる表現は必然性の度合いに応じて掲載の可否を決める、と設定し、撮る時点では「常においでませにしなければ……」みたいな部分感じないように好き放題撮ることにしよう、と心に決めました。

気にしないようにしよう

 特に国内で地続きの場所に住んでいる人を撮らせてもらうと、どうしても「この人の商売の役に立ちたいなあ……」と思っちゃうんですが、そこも気にしすぎると良くないですね。おっさんはおっさんとしてカッコ良く撮れば良いんだという思いを新たにしました。

 裏で国内取材撮影の話がじわじわ進行していますので、そのうち皆さんに日本の働くおっさん写真を見てもらう機会がまとめてやってくるかもしれません。国内も海外も引き続き働くおっさんを撮らせてくれる方(当事者)及びコーディネーターさんを募集していますので、是非。そのままをカッコ良く撮ります。


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