では旅とは何か


 こんにちは。ふとPCデスクの脇を見ると、ちょうど時計が正午を指していました。

 毎日毎日、どこにいても写真を撮っておりまして、名目上はカメラやレンズのテストであったり、写真講師をやっているので作例としての写真も……という目的もあるのですが、根本的には生活と撮ることが直結してしまっているので、撮らない状態というのがよく分からなくなってしまっているから、というのがいちばん正解に近い気がします。

今日の写真はウラジオストク2019から。

 写真を撮らなかった頃には想像もつかなかったのですが、職業カメラマンの場合、カメラマン当人は別にその写真がなくても困らないのだけど、クライアントの側は一定のクオリティなり、そのカメラマン/フォトグラファーが撮る写真が必要だから「撮ってちょー」とお金を持ってきて依頼するわけですが、私の場合「なんでも良いから撮りたい」という感じ。むしろ「撮らせてください」なんです。

 お金になろうがならなかろうが知ったことではない、というのが根本の部分にあり、しかしそれでは生活が成り立たないので、お金を払ってでも依頼したいという人は一体どういう人か? どういう業種でどういう場所で……という風に考えるんですね。好きがベースになってしまっている仕事なので仕方がないといえば仕方がないのかもしれませんが、商売の根本からはちょっと外れたスタート地点なので我ながら困ったもんだなと思います。

 そんな人間が旅に出る、日常的に暮らしているエリアから脱出してどこかへ行くとなると、写真を撮るのが目的になってしまいます。

 普段も狂ったように自宅やスタジオ近辺で撮り倒しているのに、旅に出れば普段と違って何を見ても目新しくなりますから、撮って楽しくないわけがありません。しかしそれってそもそも旅なんだろうか? という疑問が生じてきます。

 写真を撮るために旅をする、というのは成立するんだろうか? という命題です。

撮る、食う

 写真を撮るためにどこかに行くことは旅なんだろうか、たとえば富士山の風景写真を撮るために静岡に行くのは旅なんだろうか、目的地の茶畑に行くまでの過程が旅なんだろうか、それとも旅は旅するためにするものであって、写真を撮るためなどというある種不純な目的のためにやるようなものではないのかもしれない、などなど。

 別に旅にどういう目的を盛り込むのも自由なので写真を撮るための旅というのもあり得ると思いますが、あまりに撮影行為が身近になりすぎたおかげで、よく分からないんですよね。

 わたくし講師としてお話をする際に、よくやりもしない料理に例えるのですが、撮る行為と旅を料理というか旅になぞらえると、食べるために生きるのか、生きるために食べるのかに近いものがあると思います。

 私は圧倒的に「生きるために食べる」派でして、食べるものに大したこだわりはありません。奥さんが作ってくれた食事はなんでも美味しく、それ以外のもの、それ以上のものが必要だとは全く思っていないんですね。
 レストランで贅沢な食事がしたい、という欲望が分からない人間なので、女の子が「高い店で美味しいものを食べさせてくれるならおじさんとでも食事OK」みたいな話を聞くと、そんなことをする時間をもっと別のことに使えばええのに、と思うくらいです。

 もともと欲というのとあまり縁がなく、車も服も人間関係も社会的地位も「まあまあ」の中庸が何より大事、過分に手に入れるとむしろ面倒が増えるに違いないという幸福を相対値でなく絶対値で見るタイプの人間でありまして、欲といえるのは写真を撮ることの一点以外にほぼありません。

 だからこそ、どこかに行く目的が写真を撮ること100%になってしまいがちでして、いやそれじゃ文章にならんもんな、と考えているところです。

旅ってなあに

 あまり突き詰めて考えすぎるのもよくありません。

 たとえば「どこそこの国のこの料理がどうしても現地で食べたくて」という目的を設定して旅をして、それを情報化する人がいます。

 私の場合、ぱっと思いつくのは例えば「モンサンミッシェルが撮りたい」と一念発起してリサーチをして……というような形が有り得るかもしれませんね。それはそれで面白いんじゃないかと思います。そういう形であれば、一念発起してから現地に着くまでが旅の情報としてパッケージングできるわけで、個人としての旅どうこうというより、旅メディアとしてはそういう部分を扱うべきと思います。

 私の場合、現在の状態だと常に撮り倒しているまま居場所を変える、ドリフのセットがぐるっと回転するみたいにして旅先に行くので、旅の目的として設定されているのは「どこそこでスナップしたい」なんですよね。それをまずは分解して考えていくことが大事……といいますか、いま改めて考えてみてようやく、そうか俺が旅メディアとして目的設定するのだったら「この街角をスナップしたい」みたいな明確な切り分けが必要なんだ、という風に理解できました。

定義はない

 あれこれ考えてみたところで、写真とはこういうもの、という定義付けが出来ないのと同様に、旅とはこういうもの、と定義づけるのは無理なんでしょうね。

 目的をかっちり設定するも良し、旅先のホテルから一切出ないでいるのも旅の一つの形であり自由と思います。

 このジャーナルブログに関しては、見に来てくれた人に対して「こういう素敵な感じだったから共有しよう」とアプローチしたいので、ある意味では職業的な旅の仕方になるのかもしれませんが、それはそれで旅の一形態ですね。

 根本的には珍しいものを見る、で良いんだろうなと思います。

 それではまた。


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