愛知県常滑市の50’sアメリカンダイナー・Central Diner


 セントラルダイナーは常滑駅から徒歩8分、ショッピングモールの方へ向かっていくと右手に現れる。大きな水色のアメ車が停まったアメリカンダイナーである。

 今回、アメリカ文化に傾倒する日本人を取材して回るAmerica in Far Eastというルポを始めるにあたって最初に取材をお願いしたのがこのセントラルダイナーであり、オーナー店長のKazuさんである。

 何せこの内装の気合の入りようである。アメリカ文化への理解と愛情がなければこうはならない。

 インタビューして伺ってみると、もともとチェッカーズから音楽に興味を持ち、後にアメ車に乗り始めたことによりKazuさん自身も本格的に50年代アメリカ文化に傾倒するようになったという。

 チェッカーズといえば1978年生まれの私からすれば後に残ったヒット曲のイメージしかなかったのだが、Kazuさんによれば元はアメリカのオールディーズの影響を強く受けたバンドであり、Kazuさんも間接的にその影響を受けていたという。

 たしかにWikipediaでも「1970年代後半当時の久留米はアマチュアバンドが隆盛であり、特にドゥーワップロックンロールを得意とするバンドが多く、週末ごとに開催されていたダンスパーティーに出演しては腕を競うように演奏し……」と、先述のようにアメリカの一回り前の音楽文化から発祥していたようで、取材開始からいきなり知っていたようで知らなかった情報に当たり興奮した。

 取材前に一度ご挨拶がてらセントラルダイナーへお邪魔した際、一緒に遊びに行ったメリケンサックさとさんも、ツイストを踊るようなロカビリーバンドのライブでチェッカーズのカバーをやり、それに合わせてツイストで踊る一定以上の世代の紳士淑女がいるという話をしていたことがあり、その際は「なんでチェッカーズでツイスト?」と理解できなかったのだが、そのチェッカーズが80年代のバンドであり、オールディーズをバックボーンとしていたと聞けば話が繋がる。

 80年代といえばブライアン・セッツァー率いるストレイキャッツがロカビリーを再興させたネオロカビリー、略してネオロカが大流行した時代であり、チェッカーズも同じように50年代の音楽に影響を受けていたという意味で同時代性の高いバンドだったのだ。

 その前提が共有できた上でさらにお話を伺うと、ダイナーの中にちょいちょいパンク要素が入っているのも納得である。パンクも80年代に勃興してネオロカと融合しているのである。つまりセントラルダイナーは50’sがコンセプトでありつつ、同時に80’sでもあるのだろう。店の内外装がKazuさんの文化史そのものなのだ。

”ダイナー”

 ただ、Kazuさん自身は純粋に好きなダイナーを作ろうと思ったら、ピンク基調ではなく、もっと渋いものを目指しただろうとおっしゃっていた。

 実際セントラルダイナーは家族連れも安心して入れる楽しい店舗であり、私も入店の際に、その種の趣味性が強い店で感じるような圧力を感じずドアを開くことができた。これはKazuさんが細心の注意をはらって「そう」ならないように設えているおかげだ。そこはただのオールディーズ好きではなく、経営者としてのバランス感覚である。

 なるほどリアルさを追求しすぎると趣味100%が他の人にも伝わってしまい、よほど傾倒している人しか入れないような店になりビジネス上よろしくない。Kazuさんは飽くまで経営者であり、インタビューの際も経営の観点からのお話がたくさん伺えて、私も一人の働くおっさんとして感銘を受けた部分がたくさんあった。

 アメリカ文化はKazuさんの趣味であると同時に、商材としても利用されているのである。そういえば海外で日本文化が商材として利用されているのを見かけることがある。
 デボン・アオキの父がアメリカで始めたベニハナというジャパニーズレストランなど、どう見ても日本の文化ではないのだがアメリカでそれらしきものとして受け入れられて認知されている。

 こうした趣味性と商売のギャップ処理の難しさはあらゆるビジネスに潜んでおり、経営者として客観視に優れたKazuさんであっても「ダイナー」という言葉が日本人の間で一般的でないことに、セントラルダイナーを始めてみるまで気づかなかったそうである。

 たしかにハリウッド映画やアメリカ製のドラマをやたらと観ている私のような人間であれば、ダイナーという言葉にある程度イメージを持っているので、下手にレストランと言われるより分かりやすいのであるが、特に気にしていない日本人にとっては謎の単語に違いない。

 Wikipediaに異様に詳細な記述があるが、アメリカ人にとってのダイナーは、出される料理だけではなく内外装から含めひとつの文化であるらしく、古びた感じの良いダイナーを撮り歩く写真家も多く、アメリカ人写真家の定番のひとつにすらなっている。ただ見た目がカッコいいから、古びているからという理由だけではない精神性が潜んでいるように思う。

 セントラルダイナーは開店当初、雑貨屋と勘違いした客が来店したりしたそうだが、途中で大きくハンバーガーの看板を出すことで解決したという。

 この話は単にマーケティング話として面白いだけでなく、日本人の中に「ダイナー」という単語をはじめとして、どれくらいアメリカ文化が浸透しているか、またその源泉がどこにあるのか測るのもこのルポの目的の一つであることの確認になった。

 例えばこれはイギリス文化であるが、「パブ」という言葉を聞けばある程度周辺はもやもやと曖昧になるものの一定の解像度を持って「ああいう感じの店」というのが想起されるように、オールディーズ、50’s、ロカビリー、カントリーウエスタンなどなどそのあたりのアメリカ文化がどこを起点に日本に輸入され、日本人がどう解釈し、また現在まで受け継いでいるのかを確認して回りたいのである。

 Kazuさんに6時間にも渡って楽しくお話をして頂いたおかげで取材の意図と方向性がさらに明確になり大感謝である。

 ジャーナルブログ読者諸氏も愛知県常滑市へお越しの際は是非ともセントラルダイナーへ。

愛知県常滑市新開町2-91
Tel 0569-47-9002
https://centraldiner50s.com/


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