America in Far Eastはじめに


 2023年2月から、”America in Far East”(極東のアメリカ)と題したルポルタージュの取材を始めることにした。当ブログ内では主に取材記を掲載する。

 大多数の日本人が多かれ少なかれ抱いている隣の超大国、アメリカの文化への憧れ。ドゥーワップという音楽ジャンルは知らずともコマーシャルで流れていつの間にか耳にして知っているThe Platters “Only You”のように、テレビやラジオ、雑誌のようなメディアに接したことのある日本人であればいつの間にか刷り込まれているアメリカらしさがたくさんある。

 このルポルタージュでは、日本人のうち特にアメリカ文化の影響が強く現れている人たちを取材する。そのアメリカ文化の影響が現れている姿を写真に撮り、インタビューしてアメリカ文化との関わり、その気持ち良さを聞き、情報としてまとめていくものである。
 対象は音楽のジャンルで表すなら特にロカビリーとカントリー・ウエスタンに限定して取材を開始する。同じアメリカ発祥とはいえヒップホップまで含めてしまうと範囲が広すぎるのて、まずはその2つの音楽ジャンルとその周辺を対象とする。

 恐らく取材を進め、情報を整理する中で、日本人のアメリカ文化のイメージと実物の間にズレが見えることもあるのだろうことが予見されるが、そのズレこそが日本人を日本人たらしめている要素であろうことが予見されるし、最終的にその部分を言語化することが真の目的になるだろうと取材開始時点で感じている。

筆者

 筆者であるわたくし、伴貞良も、物心ついた時にはすでにアメリカ文化への憧れを抱いていた。メディアを通じて抱かされたといっても過言ではないように思う。

 私の現在のステータスは職業カメラマン、プロの写真講師、プロの技術系ライターであり、今回のルポルタージュのような作家業についてはアマチュアである。若い頃はバンドを組みギターを弾いていた。アメリカ文化の影響はその頃から強く関心のある事柄だ。

2006年・奥のヒゲがわたくし。

 子供の頃から音楽は好きだったが、思春期にさしかかり邦楽ロックを聴くようになると、すぐに元ネタがあることを知り、スキップして洋楽を聴くようになり、より激しい音楽を求めてハードロックからスラッシュメタルに傾倒するようになった。破天荒なように見えてその実、勤勉さによってのみ成立するアスレチックな音楽で、かつ騎士がドラゴンがというようなファンタジーではなく社会に対する怒りをシニカルに表現する、ヘヴィーメタルとハードコアの融合がスラッシュメタルである。

 音楽に対する興味が聴くだけから演奏するところまで強くなり、自宅で延々とギターを弾いた後にバンドを組んで活動するようになってみると、どうしてもスラッシュメタル発祥の地である本国アメリカと日本の差異が気になるようになった。結果としての音楽、演奏が明らかに違うのだ。邦楽ロックから遡って洋楽に行ったようにその違いの背景が知りたくなった。

 二十代半ばで思い切ってアメリカ西海岸を訪れ、しばらく滞在して現地のミュージシャンたちと拙い英語で交流してみると、スラッシュメタルだけでなく、ギターやその演奏に対する造詣の深さ、文化の厚みに天と地ほどの違いがあり、またそれを支えるのが「アメリカ人気質」とでもいうような民族性の違いに帰結することに気づいてしまった。

現地でのシェアハウスの友人たち

 私はもちろん簡単に優秀なミュージシャンに囲まれることの出来るアメリカでの音楽活動を望み、またその志に共鳴してビザのスポンサーになってくれる奇特な人も見つかったのだが、就労可能なビザを取得するには条件を満たすことが出来ず、またすでに体を壊していたのもありアメリカ移住は断念した。

 本場の味を知りながら日本で音楽生活を送るのは想像以上に苦しく、最終的には渡米を諦めるのと一緒に音楽も諦め、それから10年ギターケースを開くことがなかったが、その間に私は結婚をし、写真の道に入って職業カメラマンになり、そこから派生して写真の技術系ライターの仕事もするようになり、さらにそこから派生して写真講師にもなっていた。人生分からないものである。

 何の因果か言語化するのを仕事にしてみると、過去に読んできたロック雑誌、メタル雑誌が、評論に満たない感想文で溢れかえっていることに改めて気付かされた。下手をすると「レディオヘッドと私」のような感想文が垂れ流されており、縦横の座標を以て論評を加えるような読み応えのあるものはまずない。
 ただ、その責任をライターや編集者の側だけに押し付けるのもよろしくない気がする。音楽メディアがレコード会社の広告なしで成立せず、御用聞きの度合いが高くなってしまうからだ。

 少しでも気に入らないことを書かれたら広告の出稿を止めるぞと脅すレコード会社や、ライターを呼び出して監禁するバンドの存在など耳にしていると仕方がない感じもする。どのみち西洋の音楽もきちんと輸入出来ていないのである。日本はプロテスタンティズムではなく儒教的な価値観が支配する国だから何もかもが違うのだ。

 だから今回の『America in Far East』という企画は、日本人がアメリカ文化に強く憧れる、その強さの理由を知りたいというよりも、とりあえずアメリカ文化は日本以外でも強いパワーを発揮しているのだからその強さについては自明のものとして一旦措くことにし、日本で憧れ主導で情報が敷衍した際、本国と一体どれくらい差異が生じるものなのかを知ることが真の目的である。最終的には、本国の人間にとってもそのズレが自分たちの文化の外見を知る術になって面白いのではないだろうかと考えている。

 日本人が持つアメリカ文化への憧れに、私自身がアメリカの音楽とミュージシャンたちに恋い焦がれた思いが重なるし、また同時に血統という意味よりも生まれ育った環境という意味で人種の壁を超えることが出来ないジレンマも強く感じる。そのどうしても埋められないギャップに日本人らしさが潜んでいるだろうし、本国とは切り離された「想像されるアメリカ」もあるのではないだろうか。

 今後の取材でそのギャップを明らかにしていくのが楽しみであるし、同時に出会う人、得る情報によって方針が変わっていく可能性も十分にある。それはそれでルポに厚みをもたらしてくれるので歓迎するところである。


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