神田窯(じんたがま)宇和島取材2022・その3


 宇和島取材、3件目にお邪魔したのは、神田と書いて「じんた」と読む神田窯さんです。

 実はこちらへ向かう途中、車のタイヤがパンクしまして、コーディネートとアテンドをして下さったしげさんの親父さんに助けて頂きました。神田窯さんは宇和島市の南の方にある神田集落というところに位置しているのですが、宇和島の市街から交換用のタイヤを持って来て交換までして下さいました。

 パンクした時の様子はYouTube向けに動画を回していたので残っているのですが、親父さんがレスキューして下さっている様子は残念ながら記録にありません。何故かというと、親父さんがレスキューしている間に取材していれば良いじゃん、としげさんがサポートしてくださったから。なんといいますかもうプロですよ。しげさんにも改めて大感謝です。

 宇和島市は面積が468.2平方kmあるそうでして、東京23区が627.6平方kmだそうですから、かなりの大きさがあります。前回の記事で話題に上ったように埋め立てで面積が広がった部分もあるのでしょうが、それ以上に合併で大きくなっているそうでして、そんな中レスキューに来て頂いて本当に助かりました。

陶芸と土木建築

岩藤さん近影

 さて、そんなトラブルがありつつなんとか到着すると、陶芸家の岩藤さんが出迎えてくださいました。元々小学校の敷地だったところに窯を作ったそうで、聞けば巨大な薪窯もその屋根も自力で建設、さらにはガス窯を設置している母屋部分も自力で改築と、かなり土木建築の色合いが強いんであります。

 上の岩藤さんの写真に写っている柱や土台が、まさにいま改築中の部分で、下の写真が薪窯とその屋根部分。

 岩藤さんは焼き物を作られているので陶芸家ということになる筈ですが、陶芸の仕事にそういった部分まで含まれるというのは、テレビで見るような土を捏ねるイメージとはちょっと違い、そこにのっけから強く興味を惹かれました。

 仕事の領域がどこまで広がっているかというのは、実際にその職業をやってみないと分からないもの。私も写真の世界に入って初めて、被写体を自分で探すところから作品写真は始まっているというのを知りまして、そういったことでまあ考えてみりゃ分かることなんだけど意外、というのをたくさん経験しています。

 また陶芸といえば「土を捏ねる」「焼く」「気に入らないと割る」くらいの貧困なイメージしかないわたくし、積み上げられた薪の量に圧倒されました。

 聞けば薪窯で焼く際は松と楢を10tずつ使うんだそうで、その際は4~5日ぶっ通しで薪を燃やしまくるんだとか。物量を目の前にすると説得力が違います。薪の束で数えると2000束。こりゃ一大事業だわ、というのがひしひしと伝わってきます。

 便利そうなガス窯もあるのにわざわざ薪を燃やしまくるのには理由があって、それは薪を燃やして出来た灰をさらに熱で溶かし、釉(ゆう)にするため。自然釉と呼ぶそうです。
 一般的な焼き物はあらかじめ釉薬を掛けた状態で焼き、表面にガラス状のつるっとした被膜的なものを形成させるのですが、自然釉を狙う場合は釉薬を掛けず、薪をガンガン燃やしてその灰を掛け、さらに高温で灰を溶かして釉にするのだとか。

これが自然釉の壺。この白と緑の部分が元は灰だったんか、と思うとロマンを感じます。
こちらは薪窯のすぐそばに置かれていた壺。後から見ればこれも自然釉ですね。

 そのため窯は灰を溶かすための1000度を超える高温に耐えるように作らねばならず、それには普通のレンガで作るわけにはいかないので耐火煉瓦を用いて、と自然釉を求めるがゆえの一大事業で、しかも燃やす薪の量が10t単位ですからそうそう毎週、毎月という単位で焼くわけにもいきません。

 バリバリだった頃は年1回、現在は4~5年に一度焼かれているそうですが、それにしたって凄いエネルギーですよ。
 作品も薪も年単位で溜め込んで一気に焼く、その破壊的なエネルギーの放出に陶芸の面白みを感じる人も多いのかもしれません。

「焼きが上手い」

 焼き物といえばほぼ土を捏ねるイメージだった私からすると、焼きの部分についてはイメージすらなかったのですが、岩藤さんにあれこれ伺っていると陶芸家も人により円グラフに偏りがあるそうで、この人は焼きが上手い、この人はデザイン性が高い、という風にバラついているんだそうです。
 なるほど写真の世界も、人により能力の円グラフはバラバラなんですよね。作業としての撮影の中でもばらつきがありますし、写真芸術と大きく捉えた際にも、たとえば珍しい被写体へのリーチが上手い人、撮影そのものが上手い人、撮ったものの編集が上手い人といった具合に人それぞれ能力の割り振りが違います。

 今回はかなりの時間を割いて焼きの部分についてお話を伺うことで、陶芸に対するイメージがガラッと変わりました。今後焼き物を見る機会があったら、形やなんかよりも、どういう焼成技術なのかしら……という風に興味を持つと思います。

季節感

 岩藤さんとはお会いして1分で打ち解けてしまったので、長い時間色んなことをお話できたのですが、わたし個人として作品写真についてあれこれ悩んでいるのに対し、素晴らしいアドバイスを下さいました。

 岩藤さん曰く、作品にはその人の生い立ち、品性、生活、それから季節感が込められる、ということ。

 写真の世界でも、人物写真を撮ると、被写体である人はもちろん、撮った人が写り込んでしまう、というのはよく言われているところであり、私も大いに同意するところです。
 よほど心頭滅却出来る手練のモデルさんでもない限り、例えば撮影している時にカメラマンが怒鳴り散らしていれば被写体として写っている人の顔は引きつってしまうでしょうし、逆にリラックスして打ち解ける環境づくりが出来ていれば、それも被写体の表情や体の動きに反映されて写り込んでしまいます。

 そこで大事なのは、撮影者が自分を写り込ませようと思っていなくても勝手に写り込んでしまう、写真を見た人が被写体の表情や仕草を通じて敏感に感じ取ってしまうということ。人物写真を撮っている人間からすると当然であり、また同時に恐ろしくもあります。

 焼き物の場合、土を捏ねている環境がどうか、焼いている時に眠くてたまらなかった、みたいなところではなく、もっと大きな季節感として入り込んじゃうのかあ、というのが非常に新鮮で、これも今後焼き物を見たり、他のジャンルの作品を見る際にも活きてきそうです。

アザミの花の季節感。

 そんなこんなで、予定していた時間をオーバーして話し込んでしまった神田窯訪問でしたが、全然時間が足りません。もっと色々伺いたいですし、さらに写真もバチバチ撮りたいので、次回薪窯に火を入れられる際にでもまたお邪魔したいなあ……と勝手に思っています。

 それではまた。


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