過去が自分に与える影響


 こんにちは。

 2022年はコロナに続き戦争までキーワードとして刻み込まれる年になってしまいました。

 今日はあれこれの事務作業をしながら、過去と現在の繋がりについて考える一日でした。現在の災禍であっても、過去からの流れに乗ってやってくることがほとんどなんですよね。

 明後日、3月10日は、アメリカ軍が民間人の住む木と紙で出来た当時の東京の街にナパーム弾を投下し、10万人ともいわれる犠牲者を出した東京大空襲の日です。現在日本とアメリカは仲良くやっていますが、原爆投下も含め、それがちょっと信じられないくらいの民間人の犠牲者がアメリカによってもたらされています。

 いま現在、私たちの身に降りかかる出来事は、たとえば宇宙人が攻めてくるような、よほど突拍子もない災いでない限り、何かしらの因果関係があるのは間違いないわけで、そう考えると自分が現在立っている場所のみならず、自分の考え方についても、自分が過去に経験したあれこれから影響を受けていることは、意識しようとするまいと大きいのだろうと思います。

 私の場合でいえば、まず日本人として生を受けたことが間違いなく根本として人生に影響しています。

2007年だったかシアトルのチャイナタウンに停めた車の中でなぜか自撮り。当時は裸眼だったなあ……

 幸いにして、ほとんどの事柄について私は現時点を「選択的に得た」と感じることが出来ていますが、どうにもならず「こうなっちゃった」部分も当然たくさんあるわけでして、もし音楽をやっていた頃に望むまま転がっていたとすれば、もちろん音楽で成功してアメリカにでも住んでいたでしょうし、今でもアメリカ市場は魅力的だなあ……と思う面がたくさんあります。

 ただ結婚して守る人がいる立場になってみると、国民皆保険制がきちんと成立していたり、ありえないほど治安が良い日本の環境は非常に魅力的で、少なくとも拠点は日本に置いておこう、という気持ちになります。

 この守る人がいる、という性質は生得のものや「致し方なく」というもの以外の、自分で選択して獲得した性質ですから、そう考えられる程度には自分以外の存在を大事に思うんだなあ、良かった良かった、という感じがします。

シアトルで

 何のご縁か、ふとしたきっかけで選んだシアトルへ、何回かに分けてちょこちょこ滞在して現地でミュージシャンとして活動することはできないか、とうろうろしてみたことがありました。最終的にビザの取得に失敗して日本でカメラマンにでもなるか、と違う選択をしたのですが、この20代半ばの経験は現在にも明らかにいろいろな影響を及ぼしています。

 最初は本当にギター一本持って辞書すら持たず、という状態でしたが、現地の人たちに「お前ギター弾けるんか、それなら」とあれこれ世話を焼いてもらい、全く恩を返せていません。明らかな差別なんかも経験しましたが、まあ殴られたり殺されたりはしていないので良いでしょう、という感じです。

 今日の写真は最後に長期滞在した際に住んでいた家と、その大家さんならびに同じ家でハウスシェアしていた友人たちです。

 大家さんの旦那さんはフィリピンのレイテ島へ衛生兵として出征されていたそうです。「撃っても撃っても洞穴からジャップたちがどんどん湧いてきて大変で……」というのを直接伺いました。日本人の戦争経験者から話を聞くよりも逆に生々しく、あれこれ拙い英語で質問をして教えてもらいました。

 当時の私はジャップという言葉にぎょっとしましたが、旦那さんは別に極右のヤバい人という感じではなく、ただ国を守る気概を持った男、責任を果たした人という感じで、日本人の私に対してもフェアな人でした。日本人が悪いから、憎いから殺すというより、国を守る、共同体を守るという意識だったのだろうと勝手に解釈しています。

 私としてはアメリカ人すなわち「向こう側」から戦争を語るのを直接聴く機会というのは非常に面白く、けっこうな長時間でしたがあれこれ伺ったのをかなり鮮明に覚えています。戦利品の日章旗やなんかも見せてもらいました。こちらは写真がないのが残念です。
 アメリカ軍にとっての戦果とは、戦闘民、非戦闘民に関わらず日本人が死んでいるということなので手放しに喜ぶべきではないのですが、立場が180度違うところでの主観を生で聞けることに、純粋な面白さを感じました。

 大家さんとはレイテ島の後、占領軍として赴いた日本で出会い、アメリカに連れ帰ったのだとか。だから戦争花嫁、War Brideなんですね。大家さんは親戚一同から縁を切られたが、戦後だいぶ経ってから一度だけ故郷に行った、とお話してくれました。

 その大家さんも数年後に鬼籍に入られたと聞き、それからさらに数年が経ちました。おそらく旦那さんも亡くなられていることでしょう。大家さん一家の共同体としても、より大きな共同体としても、一つの時代が終わったことを感じますが、歴史はまっすぐ私たちのところまで続いています。

これから

 こういった過去の経験が現在の私の考え方の一部を担っているのは間違いないわけで、ある意味ではお世話になった色んな人が私の血肉になっています。

 もちろん私も良いおっさんになってきましたから、甘えるばかりではなく社会に返していかないといけません。それはすぐ近くにいる人を助けることであったり、共同体を守ることでもあると思います。

 結局のところ私のような平民にとっては、投票権を持ち、それを行使する以上の権限はありませんし、そうして選出した国の中枢が決めたことであれば、後の時代のどこかの地域の人たちから悪と罵られようと、それに乗っかるしかありません。その責任は投票権と同じ重みだけ、同じ共同体の仲間たちすべての肩にのしかかっています。バカを選び、そのバカが無茶をしたら、責任は投票した人間すべてが負うものと思います。

 ウクライナに対してロシアが侵略戦争を仕掛けたことに対し、自由主義陣営の一員として「ロシアふざけるなよ」と思うのは確かですし、仮にも投票権があるのならば、プーチンが大統領で居続けられる環境を作っているロシア人ひとりひとりに責任があると考えます。

 現にロシア本国ではプーチンの支持率が非政府系の、ロシア政府から非合法まがいの扱いをされている団体がデータを採っても7割近い支持をウクライナ侵略時点で得ており、さらに支持率が上がっているということなので、戦争に反対してデモをし、逮捕されるロシア人が多数いるというニュースに接してその勇気は素晴らしい、見習うべきとは思うものの、ほとんどのロシア人はイケイケで失地回復を望んでいるのだろうなと感じていますし、そうであるならば現状を追認しているに等しいわけで、相容れることは出来ないと感じます。

 もちろん、だからといって日本語圏で活動しているロシア人を責めるのはフェアでないと思うのですが、ロシアはプーチンが恐怖政治を敷いている、だからロシア人には一切責任がないという論調には与することができません。そのあたり私も微妙な、グレーな扱いにせざるを得ない感じです。

 ロシア人ひとりひとりは悪くない、というのも心情的には理解できるし賛同したいものの、ウクライナで一般市民を撃ち殺しているのも、まさにその一人ひとりのロシア人です。

 実際にウラジオストクというロシアの東の端っこの土地に訪れてみて、労働に対する忌避と排他性、そして巨大な怠惰を目の当たりにした経験があるもので、一人ひとりは悪くない、と言われてしまうと「いやいやちょっと待てよ」という気持ちになってしまいます。自分たちで国をどうにかするという気概を持って欲しいところです。その点ではウクライナ人の方が生命の危機に晒されても毅然と立ち向かっており、尊敬できます。

 ただ私がそう感じるのは、生活をする上で頻繁に長いものに巻かれる必要を感じずにいられる(あったとしても強烈に意識する機会が専制国家と比べると著しく少ない)自由主義陣営の国に暮らす人間だからかもしれず、安全なところから好きなことを言っていられるのも誰かが身分を保障してくれているからだ、と言われれば反論することもできません。ただもやもやした気持ちを抱えるしかないのでしょうね。

 何はともあれ、たった今、この時も侵略されているウクライナの皆さんが一人でも多く生き残ってくれることを願ってやみません。一刻も早く侵略が止みますように。方法は問いませんが、もしプーチンが失脚ないし政治の場に就けない状態になったとしても、過去の、そして現在のロシアを見ていると次も帝国主義タイプの大統領が支持を受けてしまう可能性があり、周辺諸国の苦労いかばかりか、という感じがします。

 ただ、まずは一旦武器を置ける状態に早くなってほしいと願っています。ウクライナに栄光あれ。


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