誰に届けたいのか?


 おはようございます。今日の東京は快晴です。また新たにレビュー依頼のレンズが届いたので、テスト撮りでスナップ散歩するのに最高の陽気です。

 ワークショップ、まだまだ残席ありますのでお申し込みお待ちしております。現在、どのWSも私と生徒さんの対マンになりかねない勢いです。少人数だからこそ、生徒さんそれぞれの習熟度と事情に合わせられますからね。勇気を持ってどうぞ。

本題

 このジャーナルブログ、ありがたいことに国内で取材に応じてくださる方がちょいちょいおられるもんですから、日本人の働く人も対象として「社会と労働」というテーマで撮らせて頂いている次第ですが、ここ数ヶ月、メディアとして独立採算を目指すにあたり、海外での取材をメインでやっていくのが面白いだろうなあ、という方向で固まりました。現在は本格的な渡航解禁を待っているところです。

 特に働く人を撮ることで、社会と労働の関係、価値の交換を大テーマとして掲げ、取材を積み重ね日本人向けに情報を流すことで、日本人が失った自信を少しでも取り戻して日本が不死鳥のごとく蘇る手助けがしたいな、というような不遜なことを考えています。
 単純に、あちこちと比べて日本は尋常じゃなく高水準のものがあれこれあるのですが、日本人自身がその価値に気づかず、誇りを持てないもんですから、もうちょっと良い意味で自覚的になってほしいな、という気持ちです。

 もちろん日本と比べて「あそこの国はここが劣っている」とやるつもりは一切ありません。むしろ、日本でもよその国でも、人が懸命に働き、社会に貢献するのは一緒。ただ日本の場合は労働と仕事と社会が繋がっている感覚に乏しく、それが自信を失わせる理由のひとつになってしまっているんではないかと想定しているので、特に職人仕事に限定せず、とにかく色んな地域で働く人たちを撮り倒してどんどん流すことで、なるほどなあ、皆一緒なんだなあ、という気持ちになってもられえば良いんではないかなと考えています。

ターゲット

 また取材を進める過程でどういう職種を撮るかがブログの方向性、印象を決めるのは間違いなく、逆にいえばこのブログに掲載されている職種によってお客さんの傾向が変わるのも容易に想像できるところです。

 以前、写真のプロジェクトとして日本国内で働く人を対象に100人撮り集めたことがあり、まとめたものを色んな属性の人に見せてみたところ、人それぞれ見たい職種が違い、かつ大まかに見る人の属性により見たい職種に偏りがありました。こういうのはやってみないと分からないものですね。

 その時の経験も踏まえ、見る人の属性を問わず写真に撮って映えるのは、職人系のお仕事なんだろうと思います。たとえば日本国内でいうと刀鍛冶なんかが日本らしく、明快でカッコ良いですね。純粋に写真を撮るのが楽しい、写真を見せたい、というところまでがこちらの欲望であれば、そういった映えるところを狙って取材をしていくのがベストと思います。

 しかし刀鍛冶の写真を見て喜ぶのは誰か? と考えると、問題がややこしくなってきます。

 このブログに記事を掲載して、誰に喜んでもらいたいんだ? というのもメディア運営者としてはある程度考えなければならず、そりゃまあ全方位に好かれることを目指すのがベストなのかもしれませんが、それを目指すとあまりに雑多になることが予想され、かつ全方位的に好かれそうな情報というのは誰も熱心に見ることはないお役立ち情報でしょうから、それなら観光ガイドをやった方がマシなんではないか、ということになります。

 例えば、1人ブレインストーミングみたいな形でツイキャスをよく利用させてもらっておりまして、そこで「海外の働く人が撮りたい」と話したところ、リスナーの方が「イタリアの靴職人が見たい!」とサジェスチョンをくれまして、なるほど俺も撮りたい、という話になりました。良いでしょうね靴職人。実際にイタリアに行くのは予算の都合上だいぶ先になりそうですが、撮ってみたいのは確かです。

職人を見る角度

 では靴職人の写真を見て喜ぶのは一体どういう層なんだろう? 先行事例としてそういった写真や記事が掲載されているのはどういう媒体なんだろう? と調べてみると、そのイタリアの職人のおっさんが作った靴を買う層が見る媒体ばかりです。

 私としてはそこで「おや?」とひっかかる部分を感じるんですね。
 靴職人の写真を見る人は、一体どういうものとしてその靴職人のおっさんを眺めているんだろう? と考えてしまいます。恐らく見ている人にとっては、シンパシーを抱く対象ではなく、自分の生活を彩るアイテムを提供する職人であって、それは庭師や運転手と同じモブの扱いなんだと思います。

 もちろん靴職人の場合、彼の写真を掲載するのはほとんどがファッション情報を扱う媒体であり、職人自身であればバイヤーであれファッション通販業者であれ、その職人が作った靴を売りたい人の意向が働いているのは間違いありません。
 そういう方向性で流されている情報であれば、職人の写真や彼を語る文章は、すべて「ほらこんなステキなコンテクストがくっついているんだから高いけど買いなはれ」であることは間違いなく、それが余計に職人のモブ感を強く感じさせる部分はあるでしょう。

 なにもモブの扱いが悪いわけではなく、ヨーロッパを眺めてみればお金持ち左翼がどれだけ綺麗事を並べたところで厳然と階級社会がそこにあるわけで、労働者階級の人間はほぼ確実に一生労働者として働いて人生を終えます。それは長い時間かかってその地域の人たちが編み出した生き残るための知恵であり、外部の私がどうこう言うことではありません。

 私もカメラを持ったモブとして、匿名の誰かというポジションで長く仕事をしてきました。だからモブが良い悪い、誰かの写真をモブとして眺めることが悪いとは思いません。
 ただ、自分がメディア運営者として情報を流す際に、冷房のきいた部屋で誰かが「あらいいわね」と流し見するために、傾斜のついた視線で楽しんでもらうためにやりたいか? と自問してみると、間違いなくノーです。

 誰が見てどう楽しむかは自由ですが、少なくともこちらから情報を出す段階で、何の臭いもしない、ホワイトウォッシュされたような、ページをペラっと捲った瞬間にもうその世界は存在しないことになって午後のお茶会に気持ち良く出かけられるような、そういう情報を流したいとは思いません。媒体としては商業媒体ですが、内容としてはドキュメンタリーがやりたいんです。

 そもそもの目的が「日本の労働者がんばろう」ですから、外国の労働者を撮る際も見せる際も、「俺達と同じ労働者」という感覚を忘れてはいけません。そういう意味でフラットな人間愛を常に胸に抱いた状態で取材先の選定からしなければ、独立メディアでやる意味もなくなってしまいます。

お高い客層

 ただこれは商売上、あまりよろしくない選択です。

 そもそも海外情報を見て楽しむのは、海外生活に憧れを持つ層か、実際に海外に頻繁に旅行に行ける層で固まっているのではないでしょうか。どこかの統計を見ているわけでもないので予想でしかありませんが、カメラマン生活をする過程でさまざまな媒体の写真を勉強のために見ており、「はー婦人画報はこういう客層に向けて記事を作っているのかあ」というような情報が頭の中に蓄積されています。

 たとえば婦人画報には、一般的な日本人がちょっと存じ上げないような皇族のインタビューがちょいちょい掲載されたりします。それはつまり、そういう記事を読んで喜ぶ人向けに作られている雑誌ということです。右翼というよりも皇族が語る言葉を身近に感じる、シンパシーを抱く層なんでしょうね。

 媒体に掲載されているものは、すべて読者を喜ばせるためのものであって、それが商業媒体の使命であり宿命です。基本的に人が喜ばない商業雑誌は売れもしなければ広告主が広告を出稿したくなることもありません。

 そういう読者層と海外の情報というのは、恐らく一般人がそうそう海外に出ることができない時代からガッチリと結びついてきたのだろうと思います。

 情報を採取してきて整理して流すのがメディアの仕事と考えると、お客さんがガッチリ固まっているところに投げるのが間違いなく得策で、私のように「いや海外とか興味ないし」と見向きもしない人が大多数であろう労働者向けにやるのはまともな経営者ならまずやらないことでしょう。マーケティング的にはNGです。

 スポンサーを探すにしても、おきれいな情報でまとめておいた方がベターなのは間違いありません。しかしおきれいさを求めるスポンサーと上手くやっていけるとは到底思えません。別に私が犯罪に手を染めたりすることはないと思いますが、事実関係以外で書く内容に口を挟むようなスポンサーは面倒ですからね。

「海外の働くおまえら」

 あれこれ考えた挙げ句、このブログがしがらみゼロの野良カメラマンによる運営であることを特色として使わなければ意味がない、ということも合わせて考えると、当該カテゴリーを「海外の働くおまえら」にするのが一番明快かもしれない、という気持ちになってきました。

 職種は職人系に限らず、本当にただ働く人をパチパチ撮るのを目的にしています。そして見るのは日本の労働者がメイン。ということは国が違えど同じ労働者なわけで、そこに気取りも何も必要ありません。ほとんどの場合、モラルは労働者にお行儀よくしていてもらいたい支配層の都合ですからね。

 日本の場合、それが非常に上手く働いているおかげで、今回のコロナ禍においても同調圧力を良い方向に働かせることが出来ていますが、労働環境だの待遇だのの面では、もうちょっと我儘に振る舞わないといけないと思っています。

写真と不条理でまた書きたいものです。

 それではまた。


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