プリント作品をどうするべ問題


 こんにちは。

 連日の快晴から打って変わって今日はどんよりと空を雲が覆っている西東京の空の下、わたくしはジャーナルブログを中心に据えた今後のあれこれの中で、プリント作品をどう位置づければ良いのか思案しているところです。

 私このジャーナルブログとは別にオフィシャルサイトを構えておりまして、そちらでは主に日本語圏外の皆さんに向けて、写真作品を見てもらう用にしてあります。本当にただ置いているだけという感じ。

 そこに「PRINT」というページが用意してあるのですが、そちらは現在何も触っていない状態でして、なぜノータッチかというと時間がない気力がないに加え、根本的に自分の中で写真を撮る作業とプリント作品を売る業務がまだちゃんと結びついていないからのようです。

美術ではない

 色々な方の助けを借りながら美術世界、とくに美術作品としての写真と、それを取り巻く市場の形を勉強させもらい、なるほどプリント作品を売るということは、買う人はカメラ好きのおっさんというよりも美術ファンのコレクターであり、将来的に転売して価値が上がることも楽しみの一つとしてあるんだなあ、そういう期待をさせる装置として中間に入るギャラリーなんかは機能しているんだなあ、ということが分かりました。

 しかし私の場合、べつにどこの美大を出ているわけでもなく、アートとして写真を撮っているかというと、芸術という意味ではその通りですが美術として撮っている(作っている)わけではなく、かなりドキュメンタリー寄りなんですね、どうしても。

 ですから、写真を「作品です」と人に売りつけるときの自分の心をどこに据えたら良いのか、どういうものとして人に売ったら良いのかよく分からなかったのですが、あれこれ勉強しているなかで、少なくとも「俺が素敵だと思ったものを他の人と共有したい」こと、またそれを飾って毎日眺めて楽しんでもらいたい、なんならそれで生活が豊かになってくれたら最高、というところまではもうガッチリ認識が出来まして、写真を撮る、プリントする、それを売ることと美術市場どうこうは別の問題だな、というふうに峻別が出来ました。

 俺とあなた、というB to CどころかC to C的な関係がプリントを購入してくれる人と構築できさえすれば、間に美術商売をしている人を挟む必要すらないんですね。それこそ「風呂をきれいに掃除したい」「じゃあこのスポンジ」というようなシンプルな商取引と同じで良いんです。

 また同時に、活動の主体は作品を撮ることよりもこのジャーナルブログを運営すること、と現在のところ設定しているので、そうなると旅先でアート作品を撮るための活動をしながら、同時にルポライター的な動きをする、というふたつの毛色の違う活動を同時にするのが煩雑に感じられます。

 私にとって写真は、行住坐臥に自動的にくっついてくる生活習慣病みたいなものであり、「よーし父さん今日は張り切って作品を撮っちゃうぞ」というものではありません。そういったマンモスを狩りに行くぞ的な発想で写真を撮ることはないんですね。日常の延長で、日常的に使いこなしているスキルで撮っちゃうもの、撮れちゃうものという扱いです。

 最適解としては、いわゆるアートとしての写真作品だのを気にすることなくルポ取材的な活動しながらどんどん撮り、どんどん見せ、見た人が「これ欲しい! 飾りたい! 共有したい!」と思ったものをプリントして売れば良くない? という形。

 もちろん活動を続けていく上で、たとえばバングラデシュで撮った写真だけで組めるな、となったら写真集を作ることもありえると思うのですが、ジャーナルブログはWEB上をメインの活動の場にする以上、写真を軸にするよりも文章を主体にして組み立てていく方が理にかなっているという判断なので、写真作品のための撮影のための旅、という形態や、かつ撮ってきた写真もいわゆる写真家さんのように撮影 → セレクト → 写真展 → 写真集のような流れにはせず、ある意味「取材のついで」という形で撮るのが望ましいんではないかと考えています。

 これもまたWEB上で写真のデータと文章、どちらにどういった役割が期待されているのか、オーディエンスはどこにどれくらいいて、何をどう求めているのか、という問題になってくるので、別の機会に思うところを述べたいと思っています。

 写真は取材のついで、と書いてしまうと人聞きが悪いですが、スナップ写真のチャンスは旅している間あらゆるところに転がっているわけですし、「なぜそこを、その瞬間に切り取ろうと思ったのか」は100ショット撮れば100ショット分理由として存在するわけで、私個人としてはアート作品として! と気合を入れて撮るのも、さりげない街角写真であっても、写真1枚における根本的な価値は変わらないと考えています。

 むしろ旅先であれば、今日の写真のようにただ歩き回って「おっ」と思うものをパチパチ撮り集めるだけでも珍しいものが写ってしまうわけで、写真として十分楽しめちゃうと思うんですね。旅を撮るのはまさにそこが目的です。

 この考えは、ある意味写真の比重を下げていくことであり、これまで写真を軸に食わせてもらってきた人間としてはちょっと不思議な感じもするのですが、そういえばカメラ関係ではありますがライターとして仕事をしている側面もあるので、より文章の比率を上げて行こうという決意でもあります。趣味スナップを撮りまくる旅から、ジャーナルブログで文章を書くための取材としての旅へのスイッチです。

 そして旅の合間に撮った写真を、旅を共に味わった仲間としてプリント購入してもらう、と。良い流れじゃありませんかお客さん。

 というような形で組み立てて行くと良いんではないかと考えています。

販売方法

 具体的な販売方法は、たとえば美術商売であればギャラリーに頼んで「半分あげるから売ってきて」というようなやり方になると思うのですが、先述のとおり美術世界で泳ぎ回るためのツールを私が備えていませんから、そうなるとTシャツを売ったり観葉植物を売るように、ネット通販の形を採るのが一番なんでしょうね。写真展も日本の場合は展示即売会ではなくお披露目会の側面が強いので、お披露目会をやる意義が見いだせるようなタイミングであればやるべきですが、販売の場としてはそう強くありません。

 となると現在のオフィシャルサイトにあるPRINTページに、サンプルを置いて「いつでも注文できまっせ」の状態にしておく……ところまでは簡単に出来るのですが、新たな試みとして「私が表に出した写真はどれでも発注できますよ」にするのが面白いかもしれないと思っています。

 今回お話していることは言い方を変えると「いわゆる写真家さん的な活動にはやっぱり興味がない」宣言でもありまして、通常の写真家さんは、撮った写真を「いかに見せないか」が勝負になっていると思います。
 つまり、自分が予算を突っ込んで撮ってきた写真は、見てもらいたいが見てもらいたくない状態になるんですね。なぜかというと代表的な客寄せカット以外については、あまりに何でもかんでも見せてしまうと、そのあとに控えている写真集や写真展で「初めて見る」体験を削いでしまい、お客さんサイドの購買意欲がなくなってしまいかねません。
 ですから代表的な、目を引く強いカットはどんどん見てもらって興味を持ってもらって客引きに利用したいが他の写真は隠しておきたい、というアンビバレントな気持ちが働きます。

 しかしSNS全盛の時代にいつまでも紙の時代と同じシステムでやっていても面白くないと思うので、私はちょっとやり方を変えて、写真はこのブログにどんどん流してしまおうと思います。基本的には写真集を出す気も写真展をやる気もない……いや何かしらの形でまとめたり展示したりはあると思うのですが、それらを前提に撮影を組み立てることは現状想定していません。過去3,4年やってみてつくづく向いていないのが分かったので方向転換しました。

 ですから撮ってきた写真は良いものからジャーナルブログに流しますし、どのみち量が多くて掲載しきれないので、たくさん写真が見たい人はPatroenへどうぞ! という形で行こうと思っています。その方が変に写真を死蔵せずに済むし、プリントの話に戻すと「あ、この写真欲しい」とジャーナルブログで見た写真をそのまま発注出来る形と繋げやすいと思うんですね。

 となると理想としては、ジャーナルブログの写真すべてに「いますぐプリントを発注する」ボタンを付け、クリックすればたちまち別窓が開いて額装イメージ、部屋に飾ったイメージ、それからプリントのサイズ指定から支払い方法配送先……とつながるシステムを備えることですね。いや私一人じゃ間違いなく無理ですが。

 このあたりはいつか出来たら良いなボックスに入れておくことにして、どの写真でもプリントを注文して部屋に飾れることを周知しつつ、こちらでセレクトした写真もギャラリーとして提示するべきですね。そのあたりすべてひっくるめて旅をルーチン化するのが次の目標です。

コロナの野郎!

 何はともあれコロナが収まってくれないと身動きが取れませんから、理論構築から綿密にやりつつ、体力をつけて日本から飛び出せる日を心待ちにするばかりです。皆さんも感染対策バッチリで行きましょう。生き抜きましょう。


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