旅ジャーナルとRAW現像


 こんにちは。月曜は一応休みということにしてあるのですが、通常業務を止めるとブログが捗るという好循環なんだか悪循環なんだかよくわからない状態になっています。週に5回はオンラインサロン向けのブログを書いているので、それとは別途という形でまた文字を打つ……不思議な暮らしです。

 このジャーナルブログ、旅記事を増やそう計画をしているのはすでに何度も書いている通りでありまして、実際にぐるぐるルーチンとして回していくための仕様決めと、それに伴う写真関係のあれこれを決めるのが楽しい今日このごろです。コロナでなかなか動き回れないので、余計に計画が楽しくなっちゃうんでしょうね。

 その旅ブログ記事充実計画のひとつに、記事と写真の方向性をどうすべーというのがありまして、自分ができないことを目指してもどこかで必ず無理が来ますから、自分が楽しく出来て、かつ現実的なラインでやってみよう、という範囲内であれこれコネコネしております。

 出来る範囲というのは、取材費なんかの予算面から、撮影およびRAW現像なんかにどれくらいの手間暇がかけられるかどうか問題も含んでおりまして、趣味の領域からはちょいちょい逸脱する程度の予算規模と手間のかかり具合からスタートするつもりでいます。あまり最初からドーンとお金を掛けてもアレですからね。様子見しながらチマチマやって、軌道修正を細かくしながらやれるのが楽しいところでもありますから。

 記事の方向性としては、写真を軸にして、見た人も旅に出たくなるようなもの、というのが一番ベースになりまして、じゃあそれを具体的にどんな人達をターゲットにやるのか、というのが次の議題であります。

 そもそも写真を見て旅をしているような気持ちになりたい、そういうエンタメとして楽しみたいとい人が割合としてどれくらいいるのかわかりませんが、まあゼロということはないでしょうし、意外な需要が喚起されることもあるでしょうから、やってみようと思っています。

 そして「見た人も旅に出たくなるような」という、バランスというか塩梅の部分が決まると、そこにちょうどはまるようなロケ地や写真の撮り方を目指すようになるので、最近ここが決まったおかげで精神的にちょっと楽になった部分があります。

 Twitterなんかで「京都良いですよ」的な写真を東京カメラ部的な人たちがフジのカメラで撮ってそれっぽい現像をして流したりして、それを見て「なるほど京都に撮りに行きたくなるわ」という感情を持ったことがあるのですが、撮りに行きたくなる京都と、実際に行きたくなる京都って写真のアプローチとしてどれくらい違うんでしょうね。

 これは撮り方に加えて現像の方向性にも絡んで来る問題です。

写真の見せ方とRAW現像

 RAW現像が話題になると撮影手法すなわち撮影時にどういうものを目指して狙って、というのは一旦度外視せざるを得ず、実際はそちらのほうが写真撮影としては大事だと思うのですがまあ仕方がありません。

 RAW現像の方向性、要はどれくらい色をねじってトーンを沈めてみたいなことをやるかによって、見る人に伝わる旅先の印象は変化してしまいますよね。

 これはなにもJPG撮りでなきゃリアルに伝わらないからダメだという話ではありません。JPG撮りも結局はカメラ内RAW現像をしているわけですし、JPG撮りでも上手くやろうと思ったら現場でカメラ内の現像パラメーターをいじりながら撮らざるを得ないわけで、やることは同じです。
 プロファイルをスタンダードで撮るならリアルだけど風景モードにすると色が濃すぎるから嘘だ、みたいなことを言う人はさすがにいないでしょうが、RAW現像をするともっと激しく誇張が出来てしまうので、そのあたり「どこまで」そして「どんな方向で」やるのか、メディアとしてある程度決めておくのが大事と思います。

 人物写真のレタッチと同じで、一定までは「本人の中に眠る潜在的な美を掬い上げる」であるとか、「肉眼で見ている時は高性能カメラで撮ったみたいにブツブツがフィーチャーされて見えることはないんだから、肉眼で見た印象に近づけるべく肌荒れなんかをなくす」というように肉眼で見た時とのギャップを埋める、むしろ見る人に対して親切でやっているんです、という言い訳が出来ると思うのですが、一定を超えると、旅写真であってもあったものを消しちゃうどころか、なかったものを足しちゃう人まで出てくるわけで、リアルさはどんどん減じて行きます。

 合成みたいなことをしなくとも、RAW現像で色味をねじくっていくと、写真の見た目としての旅先のリアルさはなくなって行くのですが、表現としてはむしろ「ファーっとした気持ちになった」みたいなところは伝えやすくなったりします。
 最終的には、大きくいえば倫理、小さくいえば恥じらいをもってやりすぎないようにしようね、という話にならざるを得ないのですが、一定ラインを超えない限り、どの程度ねじくってしまうのかは情報を投げる側の裁量に任されておりますね。

 ですから私の場合も、どれくらいねじっちゃうかなー沈めちゃうかなーというのは懸案でありまして、そのあたりについても今後チマチマとテストを繰り返してみないといけません。あまりいじりたくはないのですが、お化粧みたいなもので、一定やらないといけないよね、という義務感もあったりします。

 ストレートに白が白になりました、というレベルよりは少し踏み込む必要があるんだろうなと思いつつ、そのラインと方向性を探ることも、このジャーナルブログを運営する上での当面の課題です。

 それではまた。


コメントを残す