秩父廃集落群


 今年の頭は、四週連続で秩父の廃村へ行っておりました。

 実は秩父廃村は浦山ダムを中心とした廃集落群でありまして、日本全国を見渡しても、これだけ密集しており、かつ家屋のコンディションが整っているところはそうそうないのではないかと思っています。

 当初は秩父以外に廃村が撮れるところがほとんどないもんな~と生意気にも思っておりましたが、むしろこれだけ残ってくれており、かつアクセスも極端に悪くないというのは恵まれているんだなと思うようになりました。

 とはいえ、集落によってはたった数年で家屋が倒壊しまくって「前回来た時と様子が違う!」というものもあり、これも結局は今だけのものなのだなあ、という風に思います。

 廃村、廃屋だけに「時間が止まった」という表現をされがちですが、時間は容赦なくどんどん進んでしまっているのだな、と廃屋の崩れ方を見ているときのほうが強く思うかもしれません。

 今年の冒頭、この秩父の廃集落群に通っていたときは、自分の写真のテーマであるハーシュでナイスなテクスチャであるガリガリと廃村を掛け合わせて作品を撮り貯めるんじゃ、と思っておったのですが、廃村や廃屋の写真って、廃村や廃屋の写真にしか見えないんですよね。

 撮っているとムフムフ大興奮なのですが、写真として、とくにプリントの形にした時に伝わりにくいなあ、どうしても廃村の歴史か、オカルティックな興味で撮っているように見えちゃうんもんなあ、ということを思いまして、今はちょっと控えているところです。

 突き詰めると旅先で一期一会のガリガリをスナップ蒐集するのが結局はベストなのかもしれない、という風に思うようになりましたが、まあ元々ガリガリ写真って難解って言われがちですから、そう気にすることもないのかも。人物作品は人物作品で別系統で撮っていますからね。そっちはそっちで出来ることとバランスを見ながら楽しみながらやっとります。


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