アートとデジタル写真とPatreon


 こんにちは。今日はとくに差し迫った要件がないので、朝から花粉ガード付きの眼鏡を買おうと眼鏡屋さんに行ってみたところ、私が求めているモデルは「※一部店舗でのみ取り扱い」だそうで、しょぼしょぼと帰って参りました。

 バイタリティあふれる人であれば、なんだと! じゃあ扱っている店舗にそのまま! となるんでしょうが、わたくし可能な限り西東京市から出たくないのですごすごとスタジオに引き上げて大人しく事務作業をしております。

絵画と写真

 最近、写真をアート作品として売るコミュニケーションのあり方も良いよな~という風に考えて道を模索しています。

 その方向に舵を切ると、途端に解決しなければならない問題が大波のように押し寄せて参りまして、一つ一つ調べて考えて自分なりにバランスを決めて、というのを繰り返しているのですが、それをやっているうちにつくづく「写真って美術の中ではものすごく変わった存在だなあ」という風に感じるようになってきました。

 私からすると、自発的に取り組んだアート領域のものって写真が初めてでして、若い頃はギターを弾いておりましたが、そちらは完全に商業ベースだったんですね。写真でいう商業写真と基本的には同じです。基本的に売れればOK、売れなきゃ何も始まらないよね、という感じで実に明快であります。個人であっても集団であっても、お金のサイクルを回していくのが大事なんですね。

 アート界隈にもちゃんと市場はあるので、じゃあどういう市場の構造とノリになっているのかしら、と調べていくわけですが、アート市場について言及されている本を買って読んでみても、そこで扱われているのは絵画や彫刻のように一点物の市場がメインでありまして、写真って美術市場の端っこの方にぽつんと置いてもらっている存在なんですよね。

 実際の取引額は存じ上げないですが、まあ高騰する現代アート作品群の中で写真は数億円で「すごい!」って言われる世界です。値段が付きにくいんだろうなという感じ。

 その差がなぜ付くかといえば、そりゃもう回答はすでに出ています。「写真だから」ですね。

写真と複製性

 写真って、シートフィルムになって以降は複製性が高まりっぱなしでありまして、実際に写真をゴリゴリ撮っている当事者からすると「写真は現実の複写? ナメてんのかそのまま写るわけねえだろ」と思ったりもするのですが、少なくとも社会からは複製をするためのツールだと思われています。

 皆さんの手の中には実際にスマホがあるわけで、あらゆる記録に使われていますよね。それも「写真」であって何の偽りもないわけで、私達がごついカメラで撮っている写真と地続きの存在です。

 そのへんのおっさんが持っているスマホと、サザビーズなんかのオークションで高値で落札されたぜ、っていう写真の何が違うかっていうと、3次元をレンズ越しに何かしらの素子を使って2次元に記録している、という意味では何も変わらないわけです。スマホの写真だってプリントしようと思えば全然できるでしょ。

 しかしながら、そのへんのおっさんのスマホで撮る写真とアート作品として認知されている写真は、別の側面からみれば「違う」わけで、違うからこそ何億円なんていう値段が付いています。

 それはなぜでしょうか?

 技術的な面でいえば、まず単純に目を楽しませることが出来るかどうか? というような上手い下手の問題があると思います。

 これはアート写真に限らず、写真で食おうと思っている人すべてに通じる話で、逆に言えば単純に上手く、きれいに撮れるだけで、県大会くらいまでは戦えると思うんですよ。商業撮影の場合は見た人が気持ち良いかどうかの部分も含めて上手さにカウントするので、上手ければ食えます。

 しかし、その作品がアートとしてどうか? アートとして価値があるということは、アートとして評価する人がいて、その人が「良いね」と言ったから、そういう人がたくさんいたから価値があるということになるわけで、ここには技術的な巧拙とイコールでない評価が働きます。

 ものすごく雑にまとめるのであれば「感動する人が多い写真ほどアートとして評価が高いんだ!」ということになるのかもしれませんが、アート市場の人たちを観察していると、その人達自身がどう見ても「感動」を軸に商材としてのアート作品を扱っていないんですよね。

 感動が軸でないことが良いとか悪いという話ではなく、感動も評価の一つの軸でしかなく、市場としてみるとあれこれ他の、いわゆる大人の事情も関わっているわけで、むしろ市場の原理で見ていった方が分かりやすいよなあ、という風に思うようになりました。

市場の原理と複製性

 写真はデジタルになってから極端に利便性が向上しましたよね。これは誰も否定できない事実だと思います。

 写ルンですみたいな不便なカメラが2020年にまた流行りましたが、それは便利過ぎるデジタルに対するアンチテーゼでしかなく、不便さを楽しむ余裕があるぜと他人に見せてポイントを稼ぎたいナウい若者以外にとっては利便性=福音であって、デジタルはだからこそ求められ続け、その領域を拡大し続けています。

 フィルムとデジタルの最大の違いは、無劣化で無限の複製が撮った直後から可能である点で、これはアート写真における「希少性が高いから価値があるよ」とプリントを買う人にプレミア感を抱いてもらって財布の紐をゆるくする動機づけに逆行するものでしかありません。

 フィルム写真の場合、アート作品として売るのであれば、少しでも希少性を高くするために「手焼きしているので同じプリントは二度と出来ません」とやったりします。フジのフロンティアを使ったりするのであれば、フロンティアはレーザープリンターですから紙とインクの続く限りどれだけでも顕微鏡レベルでしか差異のないプリントが作れますが、アート作品として売る前提であれば、それじゃフィルムで撮る意味がないんですよね。

 アート=絵画と仮定してあたりを眺めてみると、アート作品として価値があるのはオリジナルの一点であり、それ以外はオリジナルを撮影するなりスキャンするなりして複製されたもの。そもそもが印刷物=複製である写真はオリジナルがない状態で価値を担保しなければならないようなものです。

 絵画のそれ一点しかないという希少性と比較すると、利便性を研ぎ澄ましてきたからこそ希少性で勝負しづらいというデスロックみたいな状態になっているわけで、私自身がどうやってそこを切り抜けるかを考えるよりも先に、じゃあデジタルで写真を撮ってアート作品を売っている人たちはどう考えているか? というと、まあエディションしかないでしょうね。

 このエディションも、絵画に贋作話がたくさんあるように、エディション破りみたいなものが出てくるのは想像に難くない訳で、結局は信用の問題なんだからあまり意味がないような気がしてくるのですが、大事なのは買う人の気持ちですからね。どうしても日本で写真を撮っていると撮る側、カメラを使う側の気持ちばかりになってしまいがちですが、市場というのであれば他にもプレイヤーはいますから、最低限配慮は必要です。

デジタルを恨まずいかに発展するかを考えよう

 私はデジタルに移り変わりつつある時期に写真に参入したので、デジタルの利便性にも思い切り浴しています。ですから、デジタルになっちゃったおかげで食い扶持が減っただの言っても始まらないよな、というのが基本的なスタンスなんですね。

 もちろんインターネットの平民への普及と(これは日本限定ですが)長期的に続く不景気のおかげで業界構造が大幅に変化し、端的にいえば紙で食えなくなったみたいな部分は悲しくもあるのですが、それを嘆いていても食えるわけではありませんから、食えない=それで喜ぶ人が減ったのだ、という風に考えることにして、じゃあ逆に自分が写真を撮ることでどう食える=喜ぶ人が一定以上いる状態になるだろう、と道を模索しています。

 そう考えると、先述のアート作品としてのデジタル写真、あれはあれで「玄関に飾りたい」「書斎に飾って眺めてニヤニヤしたい」というような需要はこれからもなくなりませんが、そこだけに絞って活動してもしょうがないと思うんですね。

 デジタルは欠点としてみると行き過ぎた利便性がありますが、利便性を活かすのであれば、世界中どこにいても撮った写真をすぐさま見る人のところへ届けられるわけで、「アート作品」という言葉の定義を広げるのであれば、産地直送型で写真作品を通じたコミュニケーションもあって良いだろうなあと思っています。

Patreon

 それを現在あるシステムを借りてやっているのがPatreonでありまして、Patreonはもともと「アーティスを個人の集合で支援しよう」という理念を元に作られたもので、私も参加させてもらっています。

Van Sadayoshi photography | Patreon

 ここでは2つのコースを用意していまして、片方はGARIGARI Tierというやつです。これは私が放っておいてもそのへんのガリガリを狂ったように撮ってしまうので、それを産地直送で会員さんに届けるシステムなんですね。

 もう片方の女性美を楽しむコースは多分に商業的といいますか、写真を撮る技能で一人のモデルさんを振り幅大きく見せていくぜという感じ。

ガリガリです。

 とくにGARIGARI Tierについては、「いわゆる紙にプリントしてあってアートギャラリーで手に入る、市場の価値と連動したもの」という意味でのアート作品の定義をとっぱらって、「俺撮る/お前見る」のストレートなやり取りで未来を感じるよなあ、という風に感じます。

 理想としては、ガリガリを延々と見続けるなかからこちらの微妙な変化を感じるくらいのガリガリ通になってくれると嬉しい……というか、すでにそうなっている会員さんもいるんだろうなと思います。「今週は伴さん、何か嬉しいことがあったのかな」みたいな。

 というようなことを考えながらゆるい日を過ごしています。


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