画質とカメラについてあれこれ考えること


 こんにちは。

 最近、月額で写真を見てもらうサービスを始めたおかげで、求める写真の画質についてより敏感になっている気がします。思考がアート商売寄りになり、飯は美味くなり、世の中にひとつチャンネルが増えたような気がしています。

 これまではざっくり「仕事で使うカメラ」と「それ以外」みたいな感じで分けており、仕事用はその時々でちょこまかとレンズもボデーも入れ替えつつ、それ以外用にコンデジであるDSC-RX100、みたいな風にクラス分けをしておりまして、それはそれで明快でわかりやすかったんであります。

 ところが、YouTubeをはじめてしばらくすると、仕事の中でも教える仕事の比率がどんどん大きくなってきたもので、依頼されて撮る写真よりも作例としての写真の方が仕事っぽくなってきました。

 さらに最近、改めて作品をちゃんと撮ってプリントを売れるようにしないといかんな、と一念発起しまして、そうするとまた求める画質が変わってくるんですね。我ながらめんどくさいもんだなと思います。

作例写真

 作例写真、わたくし正直なところけっこう得意とするところでありまして、あれは「きちんと」の集合というふうに思います。

 技術的なことを基礎から「シャッタースピードよーし、感度よーし」てな感じでひとつひとつ丁寧に積み上げて行けば撮れるのが作例写真といったら良いでしょうか。

 用途は技術の説明や機材の説明ですから、写真として面白いかどうかよりも、説明がきちんと果たされているかどうかのほうが優先順位が高いジャンルなんですね。理にかなっているかどうか、がキーです。

 それはそれであれこれの説明として、またカメラを売るために必要なのですが、最近は「この写真、飾りたくなる?」という基準で考えているので、作例写真のような撮り方は「上手いんだけどつまらない」になりがちで、それはなぜかといえば目的が「きちんと見せること」だから仕方のないことなんだと思います。

 ある意味、写真そのものよりも写真を通じて技術や機材を見せているわけで、「写真を見せんかい」という話ですよね。いや私すっごい得意なんですけど作例写真。それはそう頭を使わなくてもきちんとやれば撮れちゃうから、というだけの話なんですよ。
 つって「撮れるもんなら撮ってみろ」レベルの技術は要求されるんですが、表現の果てを追求するのと違って、苦しいということはないんです。すでに身についちゃった技術で撮るだけですから。

 その癖で撮っていると、普段のスナップも、どうしてもスキのない写真を狙うようになりまして、それはそれで自分に課した変わった修行みたいな感じで楽しいのですが、最近商売の方向性がぐいっと変わったもので、別にそこにこだわる必要がなくなったといいますか、むしろこだわっちゃダメ、という感じになってきました。正しいかどうかよりも面白いかどうかに目的が変わった、といえば良いんでしょうか。

機材の面

 そういう目で自分の過去の写真をザーッと見てみると、まあなんと撮る側都合の甘えた写真が多いことか。お気に入りマーク付きの写真もたくさんあるのですが、初期のものほど撮った時のボケがどうこうの部分優先で、見た人がどうかという問題に全く手が突っ込めておりません。

 これは日本人男性全体で共通なのかもしれないなという風に思いました。

 カメラ遊びと写真が同じものとして扱われがちでして、それは料理で例えると調理器具遊びと料理の違いみたいなもんですよね。食えるもんを作らんかいという話です。

 私もカメラは大好きですから、最初はカメラ遊びの部分から入って、いつしか仕事で写真を撮るようにはなったものの仕事の場合は仕様が決まっている事が多く、限られた「撮る」範囲内で技術を使ってお客さんに好ましい撮り方をする、というようなところが仕事の範囲でありました。

 ところが、作家側にスイッチしようと思うと、自分が仕事としてやらなければならない範囲が一気に増えるんですね。下手をすると自分が着る服からして作家活動の一環になるんでは、少なくともそう思っている人もいるんでは、という印象です。

 その一環として、じゃあカメラは作品に対してどれくらいの画質が求められるんだろう? というのを自分で決定する必要があり、しかも必ずしもツルツルのパキパキを目指せば良いというものではない、というのが実にめんどっちいんであります。どうしてその機材、手法を使う必要があるのか? というのは作品を売る上で想定される問答に含まれます。すべてにおいて「何故それを選択したのか」が問われるんですね。当然自分自身で理由を決めていないとおかしいんです。

画質

 仕事の場合、とにかく予算と体力が許す限りでかくて高いカメラとレンズ、というので間違いありません。とくに商業の場合、高いカメラで高画質で撮ると商品がよく見えることが多く、欲望と一致しやすいんですね。

 もちろん同価格帯の中でどのメーカーやモデルを選ぶかは一応大事なんですが、最終的には仕事が求めるなら普段キヤノンを使っていてもこの仕事のときだけニコン、みたいなこともありますし、それで別に問題ありません。

 しかし自分の表現として写真をやる場合、どれだけカタログスペック的に劣るカメラであったとしても、表現に合っていればOKになってしまいます。逆に、カメラ趣味的にカメラの性能に合わせて撮るようなことはあまりなさそうというか、方向性としてちょっと変わってんなという感じがします。

 この違いは、レンズ道楽的なスナップと作品として撮るスナップの違いでも起きることで、自分が撮りたいものに合わせて道具を選ぶ、という順序は作品を撮るのに重要だなあ、という風に思います。これまでは考える必要がなかったんですね、正直なところ。

α7RIIで気軽なスナップ。高精細すぎてちょっと気持ち悪い

結局は出口の問題

 最終的に自分が何を狙っているのか、どういう人に見てもらいたいのか、プリントするのかしないのか、プリントするならサイズはどれくらいか、というようなところで画質は決定するべきですね。

 つまり出口側の要求仕様に沿って決めるのがベスト。まあそれがなかなか決まらないんですが。

 スナップ写真を撮っていて面白いなと思うのは、高画質なら何でも良いかと考えた時、如実に「そうでもないよ」と突きつけられること。たとえばα7RIIでスナップしてみたところ、風景寄りの被写体については「きれいだなー」という気持ちになるのですが、ちょっとハードなものを撮ろうとすると高解像度、高精細さが邪魔をして「きれいすぎて気持ち悪い」となります。

 とくにソニーの高画素機はニコンの高画素機と比べると、高画素機を買ったプレミア感演出! と言わんばかりにギラギラさせるので、素朴なスナップを撮るのに邪魔になることがあるんだなあ、とある意味感心したくらいです。

 それはそれで、自分の目がフィルム的な表現に慣れてしまっているだけで、これからの時代に向かって写真を撮るのであれば、「これがデジタル時代のスナップだ!」と高精細パッキパキのスナップを投げかけてみるべきかもしれないと思うので、大事なのは違いを認識した上で選ぶことですね。

 もっといえば、アート作品としての写真といえばフィルムしかないだろう! という人もまだまだ多いですから、そのあたり「なぜデジタルを選ぶんですか」からして、他の人、とくに作品を買う人を納得させられる理由を挙げる必要があります。

 私だったら「そもそも写真つってもデジタルとフィルムでは同じ写真とはいえない」を挙げるかな。

 そんなこんなで、毎日考えることが尽きないんであります。


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