SNSを見に来る人はお客さんなのか?


 おはようございます。一昨日、昨日と寒波が東京を襲っているようでして、どちらかというと寒さよりも気圧でダメージを受けております。スタジオが温まらない!

 先日、SNSを眺めていてふと思ったことがありました。

 SNSって、人によって扱いはそれぞれ別だと思うのですが、たとえばTwitterをどういうものと考えて写真や文章を投稿しているのか、また受け手はどういうものと考えてそれを見ているのか、けっこう齟齬がありそうですよね。

 たとえば写真を撮っている人であったとして、その人がSNSで集客したい、Twitterで直接儲かることはなくても、Twitterで数を持ってブイブイいわしてるんですよ、というのを前提に企業案件をやりたいぜみたいなインフルエンサー志向なんだとすれば、Twitterを見ている人は「お客さん」ということになります。

 お客さんという言葉を考えてみると二通りあって、広い意味でのお客さんもあれば、取引相手という狭い意味でのお客さんという意味もありますよね。

 Twitterの場合、後者の取引相手ということはあまりないでしょうから、単に通りすがりなり、フォローして居着いているにせよ、金銭的なやり取りはなく、良い意味で互いに無責任な関係ということがいえると思います。

 ところが、そういうTwitterであっても、自分が後者の意味でのお客さんであるかのように勘違いする人が出てくるのが困ったもんですね。

 世の中、自分がお客さんではないのに文句をつける人というのがけっこうおりまして、例えばテレビに対してクレームをつける人というのがいます。あれは私からすると、テレビというのはスポンサーつまり広告主に対して「見る人がたくさんいるから宣伝効果が高いんです。だから広告料をくれ」とふんだくるビジネスモデルですから、実質「お客さん」はスポンサーになっているわけでして、視聴者は頭数としてしかカウントされていません。

 そうでなければいいかげんな情報ばかり垂れ流すようなことはしませんし、最低限質を保つ努力を視聴者の方を向いてすると思うのですが、していないでしょ。つまり見ている人は、少なくとも一義的にはお客さんと思われていないんです。

 その「お客さんと思われていない」視聴者が番組の内容に文句をつけたところで、スポンサーが怒った時ほどの脅威を感じないのは明々白々なのに、自分はバリューカスタマーであり、自分の意見は何よりも尊重するべき、と激しくクレーマーになる人がいます。これは自分の立場を誤認しているのではないかな、と思うんですね。正確には立場を誤認しているから戦い方が間違っているパターン。

お客さん気分

 私の場合、YouTubeという媒体があるおかげで、たとえば「ワークショップをやるよー」というような告知をする際に届いてくれる人がたくさんいるのは非常に助かっているのですが、YouTubeを見に来てくれている皆さんはお客さんの定義でいう前者の方。「はいはいようこそいらっしゃい」と迎えはするが、クライアントではない、という扱いなんですね。

 実際のクライアントはワークショップなりの現場に来たり、オンラインサロンで毎週みっちりやりとりする生徒さんたちであって、YouTubeやTwitterについては、立ち寄って時間を使ってくれるのは嬉しいが、だからといってそれ以上の扱いはしないぜ、という感じなんですね。

 まともな人であれば、最初からそれ以上のことを期待してグイグイ来るようなことはないのですが、世の中には変わった人が一定数おりまして、自分がクライアントであるかのように錯覚して、「さあもっと寄越せ」「もっと丁寧な対応をしろ」という人もいます。

 常識からすれば、そんなの当然相手されねえよ、っていう話なのですが、先述のインフルエンサー的にSNSでの数で商売を優位に運びたい人たち、というのはそういう人たちもクライアント的に扱うようでして、より一層誤解を招く原因になっているなと思います。

 昭和生まれの私からすると、インフルエンサーマーケティングはすぐ先に情報商材屋になるしかない未来が見えますから、SNSでのフォロワーを軸にどうこうしようという時点でうさんくさいんですね。耳目を集めることは大事ですが、耳目が集まることを目的にすると、今回のお客さんの件のようにあれこれグズグズになることが増えてめんどくさいんじゃないの、と思うんです。

 インフルエンサーって、SNSでフォロワーが多い、というのが殺し文句でしょ。それって同じようにフォロワーが沢山欲しい人しか集まらないと思うんですよ。つまり質よりも欲の人。ということは「フォロワーを増やすためには」を軸にするしかなく……という。

 欲の人を相手に商売をすると、何をネタとして扱おうが、結局は情報商材と構造が一緒にならざるを得ないんです。このあたりちょっと自家撞着気味になっていますが。

写真を見せる対象

 実はここからが本題です。

 SNSで写真を見ている人って、お客さんなんでしょうか?

 私はTwitterは表現の場と思っていないもので、「猫撮ったかわいい」とかそういうノリで写真を流しているだけで、このジャーナルブログですら、日々の散歩スナップの写真を出しているくらいですから、それらすべてがいわゆる作品であって、芸術どうこう、というつもりはないんですね。

 だから別に写真にいいねが付こうが付かなかろうが知ったことではないというのがベースで、その上で「猫いいねえ」と共感する人がいればそれで良いじゃん、という扱いなんです。SNSと共感は切り離せないですからね。

 そういう点から、SNS上で写真を見ている人って、クライアントという意味ではお客さんじゃないと私は思っているんです。お金を払って参加しているわけじゃないですからね。

 面白いのは、いわゆるアンチが、SNSに投げる写真であってもガッチリした全力投球の作品を投げるべきだ、と私に文句を言ってくることがあるんです。

 これは二重に間違っていて、まずクライアントでないどころか、自分にとって敵対的な人間が「お客さん」扱いされるわけがないのに、自分には見る権利がある! と思い込んでいること。もうひとつはSNSという場を誤解していることですね。

 写真を投げる人間は、誰に対してどの写真を見せるか、誰をお客さんとするか選択する権利があるのを忘れているんでしょう。

その写真にとって誰がお客さんか?

 私は「タダはそれなりっしょ」という考え方で明確に無料と有料を分けます。これは皆さん普段の生活から無意識にやっていることなのに、SNSが絡むと急に無料枠が拡大したような気持ちになってしまうらしく、インターネットが絡むと急に嫌儲というやつが湧いてきます。

 アンチ活動をしている皆さんも、どうやら伴がお金を稼いでいるのが気に入らない、というのが多勢を占めているらしいのですが、彼らはどうやって飯を食っているんでしょうね。自分の足元を支える経済を無視して他人にタダ働きを強要するのは反社会的です。

 だって蕎麦屋に行って「お前が蕎麦で儲けるのが気に入らない。タダで食わせろ」なんて言おうものなら威力営業妨害か何かで即座に逮捕ですよ。それくらいアホなことが、ネット上だからというよくわからない理由で通ってしまっているのが現状です。

 私は自分が写真を見せる対象を常に考えています。撮った写真を誰に、どういう形で見せるかというのは、むしろ写真作家として考えるとより重要なんじゃないのかな、と思うんですね。

 作品として撮った写真をSNSに流すのだとすれば、それはプロモーションのためでしかなく、そのあたりの構造を皆さんきちんと押さえておいてくれたら、あれこれがもっとローコストに話が進んで良いのになあ、と思います。まあほとんどの人は理解しているのに、ごく一部の分かっていないのが極端な言説だから目立っちゃうというだけなんですけどね。

 というわけで、私の気合の入った写真が見たい方はPatreonへどうぞ。SNS上で見られる写真は「写真技術を身に着けた人間は遊びでもこれくらいちゃちゃっと撮れちゃう」です。

 それではまた。


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