写真機とはなにか


 写真機ってなんですか、と聞かれて、スパッと答えられる人は意外と少ないかもしれません。

 私が初心者クラスで必ず教えていることの一つに「写真は光の記録で、逆にいえば光以外になにも記録できません」というのがありまして、いや本当にそれすぐ忘れちゃうんですが、写真は光しか扱えません。写真は光がどういう状態だったのか、というのを、時にアレンジを加えながら(というか強制的に加えられるわけですが)見た人に伝達してくれます。

 ですから写真機すなわちカメラというのは、光を記録するもの。

写真機とブラウザー

 これ面白いもので、ブラウザーとはなにか? って聞かれてスパッと答えられる人が意外と少ないのに似ているんですね。WEBブラウザー。

ウェブブラウザインターネットブラウザ、web browser)とは、パソコンスマートフォン等を利用してWebサーバに接続するためのソフトウェアであり、ウェブページを表示したり、ハイパーリンクをたどったりするなどの機能がある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%96%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%B6

 私レベルにまで引き下げて解釈するならば、サーバー上に置いてある情報は人間が見ていきなり理解できる見た目になっていないので、それを我々が見てスッと情報を取り込める形にして表示してくれる翻訳者みたいなもんですね。

 これを、ブラウザーってどういうもの? って聞かれて「それはGoogleです」とか「それはGoogle Chromeだよね」と答えると、話としては気持ちとしては分かるんだけどそうじゃねえんだよ、とエンジニアの人に突っ込まれてしまいます。

 写真機もそれと同じで、カメラを使ってあれこれ楽しいことがありますし、コミュニケーションの道具であったり男のロマンであったり、自分を出世させる武器であったりとさまざまな役割を帯びますが、光を記録するのが本質であり、本懐であります。

 昨今のデジタルカメラ高画素競争も瞳AFだのの性能競争も、要は光の記録である写真をより高精細にできますよーというものであったり、より像をきちっと結ばせるのに便利ですよー失敗しませんよー楽できますよー、というのを競い合っているわけで、光の記録をよりよくユーザーが出来るように機能を強化していることになるのですが、ことカタログスペックの文脈になると、カメラが光を記録することよりも、カタログスペックの数字のでかさを競うようになっちゃいますね。

 実際、たいがいの場合、数字がでかい方が優れている場合が多いので、まあやるなら好きにおやりなさいと思うんですが、私はあまり積極的にそこに参加する気はありません。

 なぜなら私は光を記録する部分に一番興味があり、それ以外の部分は優先順位がそう高くないからです。

 前回のNikon Z6IIの記事、AFについて改善点ありだね、という評価を遠慮なくしたのは、瞳AF搭載、というのであれば実用レベルで使えるものであろうというのが前提になってしまうので、私が普段撮っている環境でテストして、その印象をリアルにそのままお伝えするまでで、それはカメラを貸してくれたニコンさんにとっては嬉しい話ではなかったのかもしれないのですが、私からすると瞳AFの打率どうこうはあんまり優先順位が高くありません。

 カメラにとって大事なのは、光をいかに写真として気持ちよく二次元に落とし込んでくれるか。そこが最優先であり、そりゃピント合わせの性能も光の記録に大きく影響はしますが、必ずしも全自動でやってくれるようなものでなくても全然OK、というスタンスなんです。

 かんたんにいえば、超絶に楽に撮影ができても色やトーンがダサいカメラはいらない、ということ。逆にいえば良いカメラとは、良い光を良い感じに記録してくれるカメラのことです。そういう意味でいえばZ6は初代も二代目も素晴らしいので、ちょっとくらい欠点があっても全然ええやん、という感じ。

良い光は難しい

 まあ難しいのは「良い光の記録」といっても、必ずしも肉眼で見たそのままに映れば良いかというとそういうわけでもないですよね。

 サウンドの方でいうと、エレキギターのギャーン! という音は「歪み(ひずみ)」と表現されまして、オーディオ的にいえば正しくないのですが、その歪んだサウンドであっても「良い音だねえ」という評価はありえるのです。

 光も同じで、光の質が良いからすべての写真にとって良い光というわけではなく、ぬるくてつまらない話になってしまうのですが「演出に合った光が良い光」ということ。

 写真を撮ることを毎日繰り返していると、日々の写真が撮影環境の変化のなさもあってどんどん均一化されているところがあります。

 そんな中で何を見出して撮るか、毎日の写真が同じでは意味がないですから、どういうところに差分を感じて「よし撮ろう」と思うのかというと、最後は光になってくると思うんですよ。

 Patreonではそういう風に毎日の暮らしの中で撮った写真を遠慮なく見てもらう形にしているので、気になる人は入会してね。

 そこでは女性美とハードなテクスチャーの2つをコースを分けて見てもらう形にしているのですが、両者とも結局光が最優先なんですよね。そういう撮り方が正解かと言うと、いやまあ全てにおいて正解だ! と言い切るまでの気概はありませんが、少なくとも私は写真とはそういうものだ、と信じて撮っています。

 あなかしこ、あなかしこ……


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