たまきヴァイオリン教室でレッスンを見学


 こんにちは。久々のジャーナルです。

 今回は、以前より仲良くしていただいているヴァイオリン奏者であり講師でもあらせられる後藤たまきさんのところへお邪魔して参りました。

たまきヴァイオリン教室
http://gototamaki.com/

 私、たまきさんから発表会の撮影をご依頼頂いておりまして、他の営業写真ジャンルの撮影はもうしていないのですが、たまきさんのところだけは年々大きくなる子供たちをシリーズで撮れて楽しいのと、何よりたまきさんご自身が技術のよき理解者であり、写真を喜んでくださるので毎年楽しみながら撮らせて頂いております。

 そんなたまきさんがどういう感じでレッスンをされているのか、一度お邪魔して見学してみたかったんですよね。

たまき先生、近影

レッスンの様子

 レッスンは学生さんや社会人の方を相手にすることが多いようで、土日に集中するみたいですね。わたくしも日曜の午前からお邪魔して、二人の生徒さんのレッスン風景を見学しつつパチパチ撮らせてもらいました。

 たまき先生のレッスンは、わたくしヴァイオリンは弾けないのですが「まっすぐストレートなんだろうなあ」という印象でありました。

 つまり、ヴァイオリンという楽器を弾きこなすためにこれが不足、これが過剰、というのを淡々と指摘していくんだなという。

 楽器を弾きこなすのって並大抵じゃないですからね。
 これをやればOK、あなたも明日からスーパースターみたいな情報商材的なキャッチーなフレーズで解決することはまずなく、自分の人生をどれだけそこに流し込んで、ある意味浪費できるかという勝負です。

人にものを教えるということ

 たまきさんのレッスンを撮影しながら、思ったのは、私も写真を人に教える立場なのですが、カメラって楽ちんだよなあということです。

 他のジャンルの講師業をされている方と、お互い「どう?」とお話をする際に、「写真はいいよ~人間が手に持って使うように出来ているし、同じ設定にすれば100回シャッターを切って100回同じ明るさで撮れるし」と説明したりします。

 逆に楽器やなんかは、100回やって100回まったく同じになるかというと絶対にならないわけで、たった一音発するだけでも、弾いている当人は「違うなー毎回違うなー」と気づいているわけですよ。

 もちろん演奏で飯を食おうと思ったら、100回のうちの振れ幅をどんどん小さくしなければならないですし、感性と絡む問題でもありますから、「良い音で」かつ「ばらつき少なく」を目指すしかありません。

 写真の場合、学習はカメラの内部のことから始まり、その先に延々と構図の話が待っているもんですから、結局は100回やって100回同じにならない、じゃあ平均点を上げるにはどうすれば? という話になってくるのですが、とりあえず写る、という点では、いきなり持たされても音が出なかったりする楽器の世界と比べるとだいぶ楽だなと思います。

 とくに講師としては、「とりあえず押せば写る」というのは、ありがたいことなのかもしれないな、と思うんですよ。逆に押せば写っちゃうことこそが写真の価値を上げにくくしているのかもしれませんが。

美しいというのはどういうことか?

 写真の話ばかりで恐縮なのですが、良い写真ってなんだよセンセー教えてくれよー、という人がたまにいるんです。

 一言で説明できないこともないんです。気分で答えても良いでしょう。
 でも結局、その回答を受け取る人の側に、基礎体力といったら良いんでしょうか、回答を受け取れる素養がないと、素晴しい言葉を投げかけられたとしても理解できないですし、そもそも素晴しい写真に接する機会があったとしても、何がどう素晴しいのか分からないでスルーしてしまいますよね。

 素人さんが「わーステキ!」と思うものって、私も思い切り素人だった頃を思い返してみると、優れているものより派手なものです。キャッチーと言い換えても良いかな。
 撮る側としては、キャッチーでなおかつ味わい深い、奥行きのある表現がベストだなあと思ったりするのですが、それをいきなり理解できる人はそうそういないでしょう。それが出来るのだとしたら、鑑賞者として才能があるということです。

 恐らくヴァイオリンの講師をされていても同じなんだろうなあ、とレッスン風景を撮影し、後日またお話していて思ったのが、感性は本人の手技の上達と連動しちゃうでしょうし、生徒さんの手技の部分の指導をすることで、最終的には感性が育つことを目的にされているんではないかな、ということ。

 つまり、今日ヴァイオリンを持ったからといって「これが美しいヴァイオリンの音、これが素晴しい演奏」というのを、他人の演奏であっても認識できるかというと、なかなか難しいんじゃないかと思うんですよ。

 私も生徒さんたちに対して、結局は手を鍛えることで脳を鍛え、見る能力を伸ばしてもらいたいと思っていますし、とくに子供さんを教える機会も多いというたまきさんは余計にそういった面での成長を気にかけておいでなんではないかという風に思いました。

質の教育

 最終的に、すべての芸事、芸術は質の問題にたどり着くんだろうと思います。

 そこに人間の本質があるんだからしょうがない! と、ある種の諦観のようなものを最近は感じます。

 今回たまきさんのところへ取材へお邪魔したおかげで、人から人へコンテクストの伝達みたいなことをやる人間の習性が改めて面白いなと再発見する機会を得ることができました。

 ヴァイオリン教室はもちろん「ヴァイオリンが弾けるように」を表面的には目標にされていると思いますし、音楽は歴史が長いので練り上げられたメソッドがあるのでしょうね。人間は観念の生き物なので、余計に音楽のように形がないものに惹かれやすいのかもしれません。

 というわけで、お世話になりましたたまきさん、お二人の生徒さん、ありがとうございました! 次回の発表会もご依頼いただきましたので謹んで撮影する所存です。

 それではまた。


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