自分の写真


 おはようございます。

 ブログをオープンしました。

 作品として写真を撮る上で、自分の写真というのは一体なんだろう、という問題は避けて通れません。

 消去法的に「あれではない、これではない」だったり、「この道を行くと偉大なあの人の真似にしかならない」というふうによく考えるんですが、考えたからってどうにかなるものでもない部分が大きいですね。

 写真を撮る人間として、単純にプロアマで分けると、それで食っているか食っていないかがもちろん最大の違いですが、それに付随して「それで食っているからこそ」の部分が出てきます。

 アマチュアフォトグラファーの場合、良くも悪くも誰からも撮れと言われていないので、自分の好き放題できる代わりに、自分が一体何を望んでいるのだろう、と考え始めた時点でストップしてしまう人が一定数います。

 機械としてのカメラを使いこなすのが楽しいな、の先に、写真に目覚めて、じゃあ写真として俺は一体どういう表現が好きなんだろう? という問いかけが生まれるんですね。

 仕事の場合、「これを」「良い感じに撮って」というオーダーがほぼ100%でありまして、それを達成するのは自分の技術のバラエティを広げていけば良いので簡単です。簡単というと語弊があるかもしれませんが、考え方としては水平に展開していけば良いので、上位の難しい概念を扱うというよりも、語彙を広げていこうという考え方なのです。

 もちろん垂直方向に技術を伸ばすのが必要な時期もあります。それが媒体のクラスに直結しているといっても良いでしょう。ギャラが安い仕事と高い仕事では求められる写真の質が違います。

 でも根本的には自分以外の誰かが「これを」「良い感じに」と依頼してくることには変わりがありません。

 作品を撮る、となると、これがガラッと変わって完全なフリーハンドになってしまうんですね。

台北

 2017年に台北で撮った写真を振り返ってみると、旅撮りがしたい! という気持ちはあり、写真はまあ別に機械を扱うという意味では問題なく出来る状態であり、じゃあ具体的に台北をどういう軸で撮るんや君は、という部分が足りなかったんだなあ、というか、そういう問題を洗い出すための実践だったなという風に思います。

 単発で写真を振り返ると、まあ旅じゃんと思うんですが、それが繋がって川になっていないなあ、作品としてまとまらないなあ、であったり、誰からの要請もなしに自発的に撮って散漫になっているな、であったりします。

 それは撮り方から撮る場所の選定から、すべてがそうなんですよね。

 というよりもなぜ作品としてまとめにくいのか? という原因を探るのがここ何年かの旅撮りのテーマでもありました。要は軸がなかったのね。
 旅撮りの仕方なんて誰も教えてくれないんですから、自分でやってみるしかない、というか、そういう開発が楽しい部分もあるんです。

 このブログを作るにあたって、じゃあ一人ナショジオ的にブログに掲載するという軸を作るのが自分の頭の中に、とくに撮影時にも忘れないように軸を保持する意味で一番良いんじゃないの、という風に考えています。これはまあ楽屋裏の話でしかないのですが。

 実際、軸を作ってから撮影を組み立てようとするほうが、要素として何が必要かというのが分かってきて考え方がシンプルになってきました。

自分の写真?

 違う言葉で言い換えてみましょう。

 自分の写真、というのを考えてみた時に、自分が何を撮り「たい」のかという欲求の部分と、何を撮る「べき」なのかという必要性の部分が私の中で長く噛み合いません。

 若い子がよくやっている「この子のとっておきの笑顔が見せたくて」みたいな、おっつぁんからすると「お、おう……(ポッ」と頬を赤らめてしまうような表現に対して、見ているこっちが恥ずかしくなると同時に、見せたいものが先に定まっているのって凄いよね、と思ったりします。それは「べき」が先に決まっているということですから。

 私の場合、技術的にはとりあえず足りているのだから、何を撮る「べき」の部分が埋まれば、作品としてその方向性でゴリゴリ行けば良いじゃないという感じなのですが、自分が納得できていないんですね。

 何を撮る、どう撮るの部分が借り物では意味がないですし。誰それみたいなのが撮りたい! はアマチュアの特権であり、作品を売ろうっていう人間がそれをやるのはダサいでしょ。

 だからこそよくわからないまま、毎度一応は「こういう方向で撮ってみっか」とあちこちに撮りに出かけ……てはいるのですが、それはそれで写真技術を駆使する楽しみに終わってしまって「ああ今回も楽しく撮り倒した」で終わってしまうんですね。いけないいけない。でも楽しい。写真は愉悦です。とくに良い機材を使って写真を撮るのは最高の娯楽です。

 そこを嫌にならない程度にクリアしていかないといけません。そういう生ぬるいことを言っている場合ではないのかもしれないですが。

作るもの

 Ansel Adams先生の格言で、

You don’t take a photograph, you make it.

https://www.brainyquote.com/quotes/ansel_adams_100072

 というのがありまして、なるほど俺には作る意思が足りないんだなあ、基本的に築地の寿司屋でありたいと思っているんだけど、もっときちんとフランス料理的な感覚で取り組まなければいけないんだなあ、と思ったり。

 500pxとか1Xみたいなキュレーション付き写真投稿サイトを見ておりますとフォトショ選手権になっておっておやおや、と思う部分もあるのです。あるのですが、ランキングの上位に来るような人を見ていると、自分が撮りたいもの、やりたい表現と、作家として求められる表現の折り合いを上手くつけている気がするんですね。

 そのあたり上手いバランスがないものか、と探るここ数年という気がしています。

 こういうものは、誰かの真似をするのが一番簡単で安くて近道で楽なのですが、パイオニアとして自分の写真を撮ろうとしたら、こうやってぐねぐねとやるしかしょうがないんだと思います。結果としてAnsel Adams先生そっくりの写真になったとしても、そこに至るまでの経路がアートとしてやるなら必要と思います。

 あなかしこ、あなかしこ


2 thoughts on “自分の写真

  1. YUTAKA HIROKAWA says:

    メール登録しました!
    少し拝見しました当然ながら、ただライカ最高って言ってるだけの人とは違いますね(^^;
    ただの地味な写真じゃーないですね!(笑) スナップもモノクロも素敵ですね☆
    私もスナップが好きなので、とても参考になります。
    私もいつかそんな写真を撮れるようになってみたいです!!

    1. 伴貞良 says:

      登録ありがとうございまーす!
      ライカ最高も別に良いと思うんですよ。
      自分の写真を撮ってそれ売って食おうってなると何が武器になるか、何を武器にするかはその人の自由なんで。

      俺の場合は目標がリビングなり書斎なりに飾ってもらって飾った人の暮らしが豊かになって10年見ても飽きないっていうところなのでよけいに地味になりますわなw

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