Youtubeのコメントで自分語りするんじゃない


 おはようございます。ようやく夏が終わりそうですね。

 わたくしYoutubeで写真やカメラのことを好きにしゃべくっておりまして、いつの間にか登録者の方が35000人を超えているようでして、なんというか別に人を増やそうとしたわけじゃないのに勝手に増えちゃってありがとう、という感じでおります。

 ふつうYoutuberというくくりであれば、人に来てもらって嘘でも良いから動画を再生してもらえばお金が入るので、という感じで、倫理も恥もかなぐり捨てて懸命にあれこれやりますよね。

 私の場合、そういったことには興味がなく、1話20分程度と動画は長いですし、見た目はぼさぼさのまま出てきますし、配信をすれば後ろは流しですし、かっちょいいスローモーションでBGMがダブステップの映像を作ったりしませんし、ひたすら細いおっさんが出てきて喋り倒すだけなんですが、特定一部の方からご支持を頂いているようであります。

 人が増えてくると面倒も増えるもので、「こいつ好きなことを喋っているだけの二流三流カメラマンのくせに」みたいなことを言う輩も増えて参りまして、そもそも俺は自分で一流だのなんだの言ったことはなく「クライアントから発注がある=プロのカメラマンだよ。写真を見てどの程度かは勝手に判断してくれ」というスタンスでやっておるんです。

 面白いもので、わたくしカメラマンを自称する中ではかなり積極的に自分が撮った写真を流している方だと思うんですが、そうして他人を貶めたい輩ほど、写真を見て技術の判断がつかないらしいんですね。派手なものが写っているかどうかでしか写真が見られないらしい、という。

 私は派手なものを撮ることも写真の大事な技能の一つと思っておりますが、Youtubeに関しては「技術論だけで行きます」というスタンスを最初から明確にしているもので、派手なものを撮るか撮らないかはレンズの向こう側の話であって、レンズのこちら側であなたが何をするかの話をしよう、という立場を堅持しているんですね。

 ところが分からない奴は分からないから分からないわけで、なんとかしていちゃもんを付けようとするのですが、そのいちゃもんをつける側の足元がグラグラしていておぼつかないんであります。

 つまり他人の写真に文句をつけるのであれば自分の写真の提示が当たり前ですが、まずそこからしてアウト。写真じゃなくても彼らが本業にしている仕事を見せてくれれば良いですよね。質は業種を超えますから。ところがそれは出来ないみたいなんです。その時点でお話になっていません。

というほどではないのだけど群

 しかし、わたしが今日話題にしたいのは、そういったアンチ的な人間ほどアレではないのだけど、Youtubeにコメントしに来る人達の中で、一定数明らかに「こりゃまずいよね」という人がおり、また明らかに傾向を持っていること。

 端的に表現すると「他人の話を聞かないで自分の話をしたがるおじさん」であります。

 私が何かの話をしますよね。すると、「私はこういうカメラを使っています! 伴さんの話に対して私はこう考えています!」という形式のコメントをする方が一定数いらっしゃいまして、別にコメント自体はしたけりゃどうぞなんですが、話が噛み合っていないことが結構多いんですよ。

 つまり、私がAはBとは違うよねという話をした時に、AはCだと思います、みたいな「お前ぜんぜん話を聞いてないな」というのが丸わかりのコメントをしてくる人が一定数いるんです。あとそういう人って必ず、聞かれてもいない自分の話を延々として行くんですわ。

 ありゃ一体なんだろうと思ってしばらく考えていたんですが、どうやら彼らは自分の話がしたくてしょうがないから場を求めているらしい、というのが分かってきました。

自分の話がしたくてしょうがない

 SNSというものの捉え方、根本の話になってきてしますのですが、少なくとも私はSNSを「自分の話は自分の庭ですれば良いじゃん」派なんですね。

 もちろん例外はあって、同じ病気で苦しんでいる人たちが「私はこういう症状なんですよ~お互いがんばりましょう」なら分かるんです。同じ症状で違う対処をしてみてどうだったこうだったとか、データとして役に立つでしょ。励まし合うのも素晴らしいこと。

 でも殆どの場合、SNSでおじさんがすることといえば自分語りと昼に何食った晩酌に何飲んだとか、そういう誰も知りたがらない情報ばかりです。実際有名人のSNS情報だって、今日はどこでロケとかの、よく考えてみりゃ知ったこっちゃねえよ情報ばかりですよね。

 それを私も含め一介のおっさんがやったところで、人が来るわけがないのが基本なんですよ。それで良いと思うんです。むしろ誰も来ないのは「まあつまんないもんね」という認識を持って諦めていれば良いと思うんです。私もYoutubeはそこからスタートしてますから。
 私達おじさんは、おっぱいを見せれば「わーっ!」と人が来る若い女の子とは違うんです。違うんだからしょうがない。

 ところが、自分が他人から興味を持たれるべきものかそうでないのかの判断を別にして、自分のことを知ってもらいたいおじさんというのは他人の庭に出かけて自分の話を始めます。

 もうとにかく自分を知ってもらいたい知ってもらいたい以外にないんですね。だったら写真を上手く撮れるようになるなり、別の芸に秀でるなり勝手にやりゃ良いじゃん、それで人を呼べば良いじゃん、と私は思うんですが、そのへんは別らしいんですわ。

 お手軽なことで結構ですね、と思うんですが、そういうおじさんが多数アタックしてくるこちらとしてはなかなかイライラさせられます。アンチ的なのと比べると一応好意的なポジションを採ってくれているので余計に対処に困ります。

他人の話は税金

 そういった「自分の話を聞いてもらいたくてしょうがないおじさん」というのは、恐らく普段からそうだと思うのですが、他人の話は税金のようなものと認識しているらしいんですね。

 それってコミュニケーションがそもそも成立していないんですよ。

 私がYoutubeでした話を全然聞いていない状態で、もしくは聞いた風なんだけどぜんぜん芯を食っていない感じで「それで私は」とカメラ機材の型番から話を始める人というのは、どうやら「コメントをする上でいちおう当事者の話を聞いた体になっていないと、自分の話をしちゃいけないだろうな」と思っているようなんです。

 逆に言えば、相手の話を聞いてあげたという証明をくっつけば、場がどこであっても自分語りをして良いと思っているらしいのです。

 その程度のデリカシーは持ち合わせているので、別にヤバい人というほどのことはないのですが、だから話が噛み合わないし、明らかにその人は自分の話をしたい風なのに、一応こちらの話を聞いた風なコメントになっているわけです。

 ただこれコミュニケーション的には大いに問題で、自分の話をする! というのが誰が相手であろうとコミュニケーションの目的として確定しており、相手の話を聞いていない、まさに右の耳から入って左の耳から抜けていくだけなので、本当の意味でコミュニケーションが成立していません。
 見方を変えれば他人を「タダで自分の話を聞かせるもの」と認識しているということなので、邪悪とまでは言わないですが害をなす存在といえないこともありません。

 もちろん当事者としては「聞いてますよ!」と言うのでしょうが、聞いてるのレベルが違うんだよこの野郎、という話なんですよね。結果として噛み合っていないんだから、それは聞いていないということ。

 入力する、解釈する、出力するのどこのプロセスに問題があるかは分かりませんが、それは当事者内で解決してほしいんですね。

コミュニケーション強者

 残念ながら世の中にはコミュニケーションの上手い人と下手な人がいます。私は言語は多少得意な方に属すると思いますが、人に対する好き嫌いが激しいので結局プラマイゼロかマイナスになっているんじゃないかと思っています。

 コメントしてくれるんだけど話が噛み合っていない人、その中の自分の話がしたくてしょうがない人というのは、恐らく普段からコミュニケーションにちょっと問題があり、周囲の人と上手く関係を築けなかったりという経験をしているんだろうな、と思います。

 ただ、私が教えているのは写真です。写真はコニュニケーションの手段です。

 写真と関係のないところで、カメラの型番を使ってコミュニケーションを持とうとしたり、相手が何を言っているか関係なく自分の話だけしたい、という田舎の写真クラブの写真展みたいな状況はパスしたいんですね。

 そういう人って他人の写真も「自分の写真を見てもらうために見る」認識だったりするでしょ。それって見てないですからね。

 ちょっと問題がややこしいのは、写真「」コミュニケーションしようや、という言葉がそもそも通じない人が一定数いることなんですが、そういう人であっても写真が好きなのは変わりはないはずですし、「おっさん写真道」というテーゼもそういった人を救済したいというのがスタート地点であります。一応。

 願わくば、そういった自分の話だけしたがるおじさんというのが、早く目覚めて、

「そうか、世の中には他人の意見もあるのか」

「そうか、俺の話は別に誰も聞きたいと思っていないのか」

「そうか、話を聞いてほしかったら先に写真で魅了するしかないのか」

「じゃあ写真の腕を鍛えよう」

「写真の腕を鍛えるには、ちゃんと他人の写真を見ないといかんのか」

 というようなところに気づいてくれると良いなという風に思っています。

さいごに

 カメラの型番でコミュニケーションが出来るのはカメラオタクの世界でありまして、本筋の写真の世界でそれは通用しません。

 写真をやりたい人とカメラオタク、集合は重なっていますから、カメラオタクであり本筋であり、かつきちんと写真に取り組みたい人というのは存在し得るんですね。写真は機械を使わないとできない芸事ですから、撮れる人も撮れない人もみんなカメラは大好きなんですよ。そうじゃなきゃおかしいとすら思います。私も世間から見れば十分カメラオタクですよ。

 でも、カメラオタクの世界と写真の世界で決定的に違うのは、「どういう写真を撮っている」の後に「どういうカメラを使っている」が来るということ。この順序は決定的です。

 ですから、私のYoutubeチャンネルで、カメラの型番コミュニケーションをしようとする人に対しては、正直なところ「ほんで型番並べてあんたどんだけ撮れるか証明できなきゃ意味ないぜ」としか思いません。そうすると型番を並べること自体が無意味なんです。

 そのあたりをしっかり認識の上で写真を撮りまくっていただくと、現在コミュニケーションが成立しにくいおじさんも来年、再来年あたりにじわじわと成立するようになってくるんではないか、最低でもその端緒がつかめるんではないか、という風に思います。

 あなかしこ、あなかしこ……。


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